鶴見区版 掲載号:2012年8月30日号
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文豪・谷崎潤一郎その恩師「稲葉清吉先生」 文・写真 鶴見歴史の会 齋藤 美枝

幼少時代の単行本
幼少時代の単行本

 谷崎潤一郎を文学の道へ導いた恩師は、旭村(現在の鶴見区西部を含む)の子どもたちにも教えていた。

 恩師の名は、稲葉清吉先生。谷崎潤一郎が学んだ日本橋の坂本小学校の一年と高等科の時の担任で、新進気鋭、情熱に燃えていた青年教師だった。11歳前後の子どもに、『太平記』『平家物語』『雨月物語』などから美文を抜粋し、反復玩味させ、西行や定家、中国の聖賢の詩歌を板書して、繰り返し朗吟して聞かせた。三十分もの長い文章を暗誦する神童谷崎は、稲葉先生の秘蔵子となったが、高等科二年頃、谷崎の父は事業に失敗。中学進学を希望していた谷崎は、奉公に出されそうになった。稲葉先生が父を説得し、谷崎は、府立一中に入学でき、一高、東京帝大国文学科へと進んだ。

 一方、稲葉先生は、新校長と意見が合わず、明治40年に橘樹郡旭村の馬場分校に転任。谷崎は、大学生の頃まで何度か京浜電車の鶴見から歩いて、稲葉先生を訪ねてきた。二子村の親友大貫晶川の家から歩いて来たこともあり、「東京に近い神奈川県下にこんな開けない田舎があるのに驚かされた」(谷崎潤一郎著『幼少時代』より)

 馬場分校の校長となった稲葉先生は、生徒を区別せず、一人一人のびのびと教育し、読書の習慣や努力の尊さなどを教えた。馬場の建功寺の宏道和尚とも親しく交わり、建功寺で開かれる会合では、「古人の伝記」「家庭」などの講話をし、村人たちからも慕われ、尊敬されていた。

 千代子夫人は、建功寺の本堂で、村の娘たちに裁縫を教えていた。大綱分校に転任後、川崎市に移り住んだ稲葉先生は、大正15年12月14日、京浜電鉄八丁畷踏切で電車にはねられて死亡。17日に總持寺で行なわれた葬儀では、宏道和尚も読経した。昭和33年、NHKの番組「ここに鐘が鳴る」で、文豪谷崎潤一郎は、恩師の未亡人千代子夫人と対面し、感謝の言葉を述べた。

 『幼少時代』には、谷崎潤一郎が、大学時代に歩いて感じた鶴見の風景も描かれている。
 

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