「土木事業者・吉田寅松」【1】 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文・写真 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
明治四十年発行の『京浜実業家名鑑』に「東洋のレセップス」と称賛された吉田寅松という実業家が紹介されている。
平成二十九年八月に東日本建設業保証・建設産業図書館(東京都中央区)が明治維新百五十年を記念して、土木・建築工事の黎明期に偉業を成し遂げた四人の人物を紹介した。その中に、旭村北寺尾出身の吉田寅松という人物が、「高島易断」の開祖で実業家の高島嘉右衛門、北海道炭鉱鉄道の工事の請負人で無学の天才と評される沢井市造、政府の鉄道局出身で土木界をけん引した菅原恒覧らとともに紹介されていた。
名鑑には、吉田寅松は、「神奈川県橘樹郡旭村北寺尾の鶴田治兵衛の長子として生まれた」と記されている。
多くの困難な土木事業を請負い完成させた吉田寅松を、スエズ運河を開削したレセップスになぞらえて「東洋のレセップス」と称賛している。
橘樹郡旭村北寺尾の現在の町名は、鶴見区北寺尾である。高島嘉右衛門と肩を並べた土木業者、吉田寅松は鶴見出身だった。次回より、明治三十四年発行の『立身叢談信用公録』、明治三十五年発行の『内外名誉録』や土木建築に関する文献などから、吉田寅松の人生を抄録する。
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