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鶴見区 コラム

公開日:2020.04.23

「土木事業者・吉田寅松」【2】 鶴見の歴史よもやま話
鶴見出身・東洋のレセップス!?
文・写真 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

寺子屋師匠・金井良安に学ぶ憧れは豪商紀伊国屋文左衛門



 天保八年(一八三七)に橘樹郡旭村(現鶴見区北寺尾)の農家に生まれた寅松は、粗放で大胆、大人が顔負けするほどの才知にたけていた。馬場の建功寺の寺子屋で金井良安師匠に学んだ寅松は、幼少期から河村瑞賢や紀伊国屋文左衛門に憧れ、大実業家になって名をあげたいという大志を抱くようになっていた。



 金井良安は、文化三年(一八〇六)に武藏国橘樹郡旭村北寺尾の代々名主を勤める金井五左衛門の第三子として生まれた。幼名は虎次郎。性格は、質朴で思いやりがあり、己を欺かず勉学を好み、建功寺の喜道和尚の寺子屋で学んだ。父亡き後は、家業を継ぎ五左衛門を襲名。名主としての勤めを果たしながら、建功寺の寺子屋で近郷近在から通う子弟二百余人を教えた。明治二十三年(一八九〇)、八十五年の生涯に幕を閉じ、建功寺に葬られた。



 農家の長男に生まれた寅松は、農家を継がなければならないと思いながらも、江戸の親戚筋の商いの話などを聞き、商売をするということに強い興味を抱いていた。粗放で大胆、子どもとも思えない行動に出る寅松は、父と一緒に横浜に出て木材の販売を始めた。だが、失敗した。



 古平氏から嫁いだ母カク子は、物事を公正に判断する賢い女性で、子どもたちには、思いやりの心を持ち、勤勉であれと教え導いていた。寅松には他の子どもとは違う大器の才があると感じながらも、その気性の豪胆さを心配し、しばしば注意を促したが、寅松は改めようとはしなかった。



     (次回に続く)

 

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