今なお様々な所に爪痕を残す東日本大震災。ここ鶴見にも被災し、故郷を追われた人がいる。入船公園所長の菅野光喜さんだ。
マッチ箱振るような揺れ
菅野さんは福島県伊達市出身。霊山町という山奥の農家だった。一度は神奈川県で就職するも、後継として福島に戻り、両親とともに果物栽培や稲作をしていた。
震災当日、菅野さんは作業小屋にいた。携帯の地震速報が鳴った直後、強烈な揺れに襲われた。立っていられず、窓は勝手に開く。「まるでマッチ箱を誰かが振っているような揺れだった」
建物が崩壊すると思い、ビニールハウスへ逃げ込んだ。ラジオから助けを求める声や救助活動の様子を聞き、状況を把握した。5分おきの揺れが収まってきたのは夜。ビニールハウスの中に布団を敷いたがその日は冷え、眠れなかった。
「生きている人はいない」
1カ月も経たないうちに、自転車で知り合いのいる相馬市へ行った。相馬市は海岸沿いに面し、津波の被害を受けた場所だ。美しかった松林の面影はなにもなかった。落ちていた剥き出しの針金が、倒れてコンクリートも剥がれた電信柱だとわかった時に「生きている人はいない」と思った。親しくしていた友人の行方は今もわからない。
襲う風評被害
地震は、その後の生活に大きな影響を与えた。伊達市は、福島第一原発の事故で高濃度の放射能に汚染され、計画的避難区域に指定された飯館村の隣町だ。
風評被害。これまで1パック300円前後で販売していた苺が20円にまで値下がった。名産品だった「あんぽ柿」は出荷ができなくなり、多くの知り合いが大事に育ててきた柿の木を切った。
「借金を増やしながら農業を続ける気にはなれなかった」。菅野さんは福島を出ることを決めた。「何も悪いことをしたわけじゃない。ただ残念。故郷を捨てたって思いは常にどこかにある」
忘れられない記憶
風化する普段の記憶とは違い「忘れようと思っても忘れられない」と呟く。今でも「自分にできることを」と、様々な場で当時の話は伝えるようにしている。「いつ死ぬか分からない。今日をどう楽しく生きるかを考えたい」。故郷への思いを胸に秘め、前を向いた。
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