聴覚障害のある「ろう者」のオリンピックであるデフリンピック。その競技の一つ、デフテニスの日本代表に、橘学苑高校=獅子ヶ谷=の硬式テニス部3年・宮川百合亜さん=人物風土記で紹介=が内定した。「メダル獲得が目標」。見つめる先にある、自身の活躍でデフテニスを広めたいという思い。5月の本番に向け、練習に励む日々を送っている。
「耳の不自由な」という意味である「デフ(deaf)」を冠したデフリンピックは、身体障害者によるパラリンピックとは異なり、ろう者のみが出場する大会。国際ろう者スポーツ委員会が運営し、4年に一度開かれている。
昨年12月にブラジルで開催予定だったが、新型コロナの影響で5月に延期となっている。
かすかな打球音
3歳のときに聴覚障害が発覚して以降、補聴器をつけた生活を送る宮川さん。裸耳で聴力損失が55デシベルを超えるという参加資格がある中、「ほかの人より聞こえていてギリギリ」というが、打球音がかすかに聞こえる程度だ。
11月の代表選考試合は入試の関係で出場できなかったが、一般の大会での成績も考慮され、今回の選出にいたった。
感覚養う練習
ルールは通常のテニスと変わらないが、デフリンピックでは会場に入った時点から補聴器などの装着が禁止されている。
現在は慣れるため、試合時は外すなど工夫。「目で見て追うので反応速度が遅れる」とし、感覚のスイッチを切り替える練習を積む。
得意なプレーはフォアハンドのストローク。強打が持ち味で、ネットプレーもこなす。出場予定はシングルスとダブルス。「出るからにはメダルを獲りたい」。一番いい色が目標だ。
大きな自信担う発信役
1924年、世界初の障害者スポーツ大会として始まったデフリンピック。独創性追求を目的に、国際パラリンピック委員会には属していないため、ろう者はパラリンピックに出場できない状況が続いている。
出会いは2年前
宮川さんが活躍を目ざす理由には、デフテニスを広めたいという思いがある。
家族の影響で3歳で始めたテニス。実は橘学苑入学後の2年前までデフを知らなかった。1年生の夏に出場した関東大会で、補聴器をつけた選手と対戦。試合後に話しかけられ存在を知った。補聴器をつけた選手と戦ったのは初めてだった。
「デフって何?から説明する。知っている人の方が少ない」。代表に内定したことで得た自信は大きい。「知っていれば諦めなくていい人もいたと思う」。日の丸だけでなく、伝える役割も担ったと感じている。
そのためには活躍することが重要だ。「デフはもちろん、一般の大会でも活躍して、発信したい」。自身の体験を通じ、この世界を広めるために、まずは5月に照準を合わせる。
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