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鶴見区 社会

公開日:2022.03.10

聖ヨゼフ出身山根麻衣子さん
福島移住8年目伝え続ける現地の今

  • 2014年に移住し、福島県双葉郡のローカルライターとして活動する山根麻衣子さん。執筆記事は「右記二次元コードから(写真はすべて山根さん提供)

  • 富岡町夜の森で地元の友人や移住者仲間とよさこいに参加した様子(2019年撮影)

  • 今年1月以前、バリケードがあった桜並木

 福島の「今」を伝えたい―現地のローカルライターとして活動している鶴見ゆかりの人物がいる。聖ヨゼフ学園中高出身で区内在住歴もある山根麻衣子さん(45)だ。イメージにこびりつく除染廃棄物が詰まったフレコンバッグの山は、もうほとんどない。「節目はなく、日常は3月11日からずっと続いている」。住んでいるからこそ見える景色を聞いた。

ボランティアからかかわる生活

 肩書は、福島県双葉郡のローカルライター。桜の名所としても知られる同郡富岡町夜の森に住み、まちづくり団体・(一社)とみおかプラスの広報としても働く。

 ハマっ子だったという山根さん。両親は今も鶴見に住む。震災後、神奈川県のボランティアとして岩手県などで活動したのち、10年勤務した接客業を退職し、県のボランティアステーションを運営していたNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボに勤務。ライターとしての仕事をスタートした。

 2013年から復興支援を柱とする団体職員へ転職。同団体から派遣される形で、福島県双葉町役場の復興支援員としていわき市に移住。翌14年のことだった。

 「移住についてみんなに『すごいね』と言われるが、ずっと被災地にかかわる生活を送ってきたので自然なことだった」と振り返る。

重かった現実情報収集に一年 

 だが移住後、突きつけられた現実は重かった。風習や文化の違い、初めてかかわる原発被災地の傷跡。「生半可で発信することはできない」

 現地に行けば、正しい情報を発信できる―ボランティア時代に感じていた、被災地と支援する側のニーズのギャップ。自分ならばと高まっていた正義感は早々に打ち砕かれた。

 地域情報のインプットに一年以上をかけ聞こえてきた声は、さらに重かった。当時、30年は帰れないとされていた周辺地区。「生きているうちには無理」「悲しくなるから行けない」。そんな気持ちに触れたという。

変わる景色と変わらない報道

 国道の開通や、避難区域の解除、20年にはJR常磐線が全線開通と、毎年激動のように景色は変わっている。

 住む人たちも、「復興」という言葉は使わなくなった。目的は、暮らしや生業を続けられること。「日常は地続き。それは他のまちと変わらない。ただ、傍らに震災の過去がある。それを抱えた人々と生きている」。触れ合うからこそ思う現地の今だ。

 原発被災地の映像にあったフレコンバッグは、今年度中にすべて中間貯蔵施設に移される予定。「住めないエリアは福島県全体の2%なんです」。節目のたびに報道される悲劇めいたストーリー。「まちが消費されている」と表現し憤る。

11年ぶりの桜並木

 今後も、加速度的に進化する地域を必要に応じて発信し続けたいと思っている。

 今年初め、夜の森地区の立ち入り規制が緩和された。震災以降初めて、名所の桜並木も全域で自由に散策が可能になる。

 「3月11日にかけ、福島や東北を目にする機会が増える。今、どうなっているか興味を持ってもらえたら」と山根さん。「アクセスも向上した。桜の時期に県外から人を受け入れる準備も出来ている。コロナもあるが遊びに来てほしい。案内が必要なら、鶴見の人は優先的に紹介します」。そう言って笑った。

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