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鶴見区 コラム

公開日:2026.04.23

「土木事業者・吉田寅松」69 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス⁉ 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

欧米名車に伍して疾駆吉田式自動車

 有栖川宮殿下一行ご通過を聞き知った沿道の村人たちが国旗を振って迎えている。

 『朝日新聞』明治四十一年八月三日に「自動車遠征隊 大将自ら把手を執り給う/日本には初めての壮遊」の記事がある。

 八月一日、「有栖川宮殿下の自動車乗用御奨励の御志しに基き東京において自動車に趣味を有する人々」が、「八時半頃一同日比谷公園集合」、麹町区三年町の宮邸に参邸。殿下運転の「ダラック号(価格一万五千円)」を先頭に、修繕用、貨物運搬の支援車両を含む十一台が隊列を組み、新宿を経て甲州街道を立川までの遠乗りを楽しんだ。

 有栖川宮所有のダラック号を先頭に渋沢栄一所有の英国製ハンバー、吉⽥寅松の長男真太郎の東京⾃働⾞製作所が製作した吉田式四号(中上川次郎吉所有)・七号(森村市左衛門所有)・八号(日比谷平左衛門所有)、小栗彦太郎所有の米国製フォード、古河虎之助所有のドイツ製メルセデス、大倉喜七郎所有のイタリア製ファィァット、この他に修繕車としてハアバー号や貨物運搬車として三越のフランス製クレメントなど総勢十一台が隊列を組んで甲州街道を疾駆した。

 真太郎の東京自働車製作所製作の3台の吉田式自動車は外国製の名車と伍して堂々と疾駆した。

各界貴顕が参加

 この日の参加者は、「三井中興の祖」中上川彦次郎の子息たち中上川次郎吉・三郎吉・鉄四郎・勇五郎・小六郎、日清紡績・鐘淵紡績の設立にかかわった実業家日比谷平左衛門の子息たち日比谷祐造・平吉・平太郎、長岡陸軍少将、矢野恒太、高田正一、玉置博、小栗彦太郎、吉田真太郎、長谷川銕太郎、煙草王の村井吉兵衛と義弟貞之助、日比翁助、溝口伯爵・曽我子爵・佐々木伯爵などの令息、森村開作(森村財閥創設者市左衛門の二男)、日比谷つる子、中上川みち子など、当時勢いづいていた実業家や政治家貴顕とその配偶者、同行取材の新聞記者、昼食会場を準備する三越従業員など総勢三十数名。梅林に設えた白いテーブルを囲んでの記念写真が遠乗り会の盛会を伝えている。

 十一時に立川に到着。小憩したあと、甲州街道を一里ほど戻った国立の谷保天満宮で昼食をとる。境内の梅林には立食会場が設えてあった。すべて有栖川宮家が手配して三越の車が運んできたもので、ビールやサイダーは境内を流れる小川で冷やしてあった。

 陸軍の長岡外史少将が「軍隊では将来、自動車を砲車にも輸送車にも用いたい」「自動車の数も製造も盛んではないが、今日のように十台余で遠乗り会を実施できたのは、自動車にとって記念すべきことである」と語った。一同で有栖川宮殿下に感謝して万歳三唱、自動車にも万歳三唱して盛り上がった。

日本自動車倶楽部設立

 続いて、矢野恒太(第一生命保険の創始者)が演説をはじめた。

 「現在の人力車や馬車は、この忙しい時代に仕事をする人の乗用車としては非文明で不便である。ぜひ自動車のような文明的なものに変えていかねばならない。現在の自動車は高価すぎるので誰でも買えるものではない。自動車を安くつくることを研究しなければならない。そのためには相当の費用が必要であり、有力者の力も借りなければならない。ぜひ諸君のご尽力によって、このことを成功させたい」と訴え、自動車倶楽部設立を提案した。参会者一同は拍手で賛同し、楽しい午餐の席で自動車倶楽部が設立した。

 帰路は、自動車倶楽部設立を予見し、あらかじめ用意していた青地に「オート・モービル・クラブジャパン」の頭文字を白字で染め抜いた倶楽部旗を翻して、有栖川宮邸まで走った。宮邸で氷水などのふるまいを受けて散会した。

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