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鶴見区 コラム

公開日:2026.03.19

「土木事業者・吉田寅松」68 鶴見の歴史よもやま話
鶴見出身・東洋のレセップス!?
文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

有栖川宮のひとこと

 明治三十八年、ドイツ皇太子の結婚式参列と、イギリス王室訪問を兼ねて渡欧の途次、イタリアに立ち寄った有栖川宮はイタリア皇室の歓待を受け、皇帝夫妻と郊外へのドライブを誘われた。

 当時、日本で車を所有していたのは大倉喜七郎だけで、東京市中で車を見かけることはめったになかった。随行した従者たちは、「車での遠乗りを危険です」と思いとどまらせようとしたが、有栖川宮は制止をふりきって車に乗った。初めて乗った自動車の快適さにすっかり魅了されてしまった有栖川宮は、イギリスで車を一台購入して帰国した。

 自ら運転して皇太子や外国からの賓客を乗せて走り、「将来は必ず自動車の世界となるから、今から自動車や運転について勉強しておくように」と周囲に語りつづけていたが、体格があまり大きくなかった有栖川宮は、欧米人向きの大型自動車の運転に不便を感じていた。

 明治四十年、有栖川宮から「日本人向きの自動車はできないか」と聞かれた吉田真太郎は、即座に「できます」と答えた。

 国産自動車の注文を受けた真太郎は、内山駒之助とガソリン式の吉田式自動車第一号を完成させ、有栖川宮家に納入した。内山駒之助は、日本人最初の自動車技師といわれている。有栖川宮の一言と内山駒之助の技術で、吉田真太郎は、日本初のガソリン自動車を完成させた。

日本初の自動車遠乗り会

 八月に国産自動車の完成を記念して、東京郊外多摩川までの遠乗り会がおこなわれた。これが日本で最初の遠乗り会と思われる。

 有栖川宮のお声がかりでご殿医や各界有力者から自動車の注文が殺到し、明治四十年に十七台つくり、十四台が売れた。十二月二日には吉田式一号車のハンドルを握る有栖川宮と徳川昭武侯爵らが記念の写真を撮っている。

 明治四十年一月に警視庁が自動車営業取締規則を発表予定の新聞記事があった。東京市中に車が増えてきたことがうかがえる。

 明治四十一年末の警視庁管内の自動車総数は四十六台で、フランス製十八台、イギリス製十二台、吉田式自動車八台、アメリカ製四台、イタリア製二台、ドイツ製二台となっている。吉田式自動車八台は、有栖川宮家と森村市左衛門などの実業家に六台、大日本ビールに一台納入している。

 吉田式自動車は明治四十一年から四十二年にかけて十一台販売している。大日本ビールに納入したタクリー号は「サッポロビール」の看板をつけて走っていた。

世界の名車と並走

 明治四十一年八月一日、吉田式自動車三台が、甲州街道立川までの遠乗り会に参加した。

 午前八時半、日比谷公園に集合し幸島地区三年町の有栖川宮邸に向かう。鈍色の詰襟にハンチングの正装で有栖川宮が運転するダラックを先頭に甲州街道を立川に向かって走り出した。

 甲州街道の並木道がつづくなか、風を切って涼しげに走る。立川までおよそ八里、英国製ハンバー、イタリア製フィファト、ドイツ製メルセデス、アメリカ製フォード、三越所有のフランス製クレメントなど、世界の名車と吉田式自動車三台が参加した。吉田式は欧米車と比較しても性能において遜色なく、堂々と走りぬいた。

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