浦島町町内会(加藤勇治会長)は8月17日、18日に恒例の夏祭りを行った。地域住民らは、町名の由来となっている神話にちなんで制作された「浦島太郎山車」を引いて町内を練り歩いた。横浜大空襲を乗り切るなど、今も地域住民に愛され続ける浦島太郎像が収められた山車を取材してみた。
18日に行われた山車引きでは、町内の老若男女が集まり子どもたちの「わっしょい」の掛け声に合わせて山車を引いた。
浦島太郎山車は、1929年に制作された。素材はケヤキを使用し、土台部分には、浦島太郎伝説にちなみ亀が彫られている。
像本体は、亀の後部に「昭和7年加藤正春作」と彫られているため、1932年に制作されたものだと考えられている。素材はケヤキで、戦後に塗装が施されたという。4年前には、浦島太郎像の喜寿を記念して修繕が行われた。その際に、山車全体の塗装や車輪部分などを補修した。
当時近隣にあった浦島観音寺が焼失し、地元住民はその再建を目指していた。しかし、軍国主義の台頭などの時代背景もあり、資金が集まらず断念。その代わりに地元を見守る存在を作ろうという住民らの声で、カンパを基に浦島太郎像を制作したと伝えられている。
1945年の横浜大空襲の際には、周辺一帯が焼野原と化したものの、浦島太郎像は奇跡的に焼失を免れた。町内会長の加藤勇治さんは、「空襲を乗り越え、長く地域を見守ってくれている。いずれは文化財として登録できれば」と話した。
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