生田緑地のメタセコイアの林、岡本太郎美術館近くにある慰霊碑。そばに「ローム斜面崩壊実験事故慰霊」と書かれている。1971年11月11日のこの事故で、研究者や報道関係者15人が犠牲になった。今年は「50回忌」だ。
事故の2日前から、国立防災科学技術センターと関係機関が「ローム台地における崖崩れに関する総合研究」として、放水による降雨実験を続けていた。がけ崩れの仕組みを解明するため、「どのくらいの雨量でどのように崩壊するか」を調べる実験だった。事故当日の午後3時半ごろ、目的の「崩壊」が起きた。しかし、崩壊規模は想定を上回り、斜面を下った泥流が関係者を飲み込んだ。
崩壊実験を行った場所は、1958年の狩野川台風による崩壊土と、1968年の遊歩道工事による捨土で覆われていた。これらの堆積状態は、固い地山より隙間が多く、透水性もよく、吸水で強度が低下しやすかった。実験で崩れた土は一瞬にして液状化し、防護柵を越えた――。
川崎市の災害概要にも「過去の大きな崖崩れ災害」として記載される同事故。多摩丘陵一帯は昔から崖崩れの危険と隣り合わせで、実験は宅地等の防災のためだった。当時の調査で、市内の「崩れそうな崖」は188カ所あり、525世帯が危険な環境にあったという。いま、多摩区の土砂災害警戒区域は179区域、特別警戒区域は136区域。この事故に限らず、数ある災害の教訓を生かした対策が不可欠だ。
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