岸部知佐子さん(57)=多摩区西生田在住=は3年前、当時12歳の最愛の息子・蹴(しゅう)さんを小児がんで亡くした。岸部さんは当時の思いや悩みから、小児がんを取り巻く環境の改善に向け、発信を続けている。
難病の存在「なぜ」
「左足が痛い」。小学1年生の蹴さんが、泣き叫び苦しみを訴えたのは2016年2月のことだった。腹部に見つかったのは「神経芽細胞腫」(神経芽腫)。固形腫瘍の一つで5歳未満の子どもに発症することが多く、年間100万人あたりに10人程度とされる難病だ。「なぜこんな病気があるのか」。怒りではなく我が子が難病を患ったことへの疑問ややるせなさは拭えなかったと岸部さんは話す。
過酷な闘病生活の中でも家族は蹴さんの心の強さを感じたという。6年生の9月には足に麻痺が生じ、一人で歩くのも困難に。それでも蹴さんは「高校生になったらサッカー部に入るけど間に合うかな」と病院の廊下を何往復も歩き続けた。
だが、懸命な治療を尽くしてもなお、病気の進行は止まらなかった。
21年5月30日。中学1年生の春。自宅で家族が声をかけ続ける中、蹴さんは天国へと旅立った。
誰かのための制度を
海外で一般的に使われている薬が日本で承認されるまでに長い時間を要する「ドラッグラグ」や、療養生活の多様化による教育保障の不足など、全国的に小児がんを取り巻く環境整備は未だ不十分とされることが多い。岸部さんは「当時、川崎市の中でも遅れは感じた」と振り返る。
より先進的な医療を受けるため、蹴さんは国立成育医療研究センター病院(世田谷区)で治療を続けた。拠点とする病院が都内だったため、川崎市内で在宅医療を受けるとき、相談窓口が分からず戸惑ったという。「子育てをしたこのまちで完結させたかった。病気をした子どもたちの家族が『川崎市に住んでいてよかった』と思えるようになってほしい」。岸部さんは力を込める。
川崎市はこのような課題を踏まえ、21年4月に「医療的ケア児・者等支援拠点」として、市内南北の2カ所の事業所内に専門の相談員を配置した。市担当者は「子どもの医療的ケアに関する悩みは千差万別。情報は常々変化し、個人で調べ切るには難しい部分もある。その人が求めていることを直接相談できるようになれば」と語る。
現在は、子どもの未来のために社会的問題の解決に取り組む市民団体「ミライアルかわさき」に所属しながら、がん教育の講演など啓発活動も行う岸部さん。「誰かのために制度が必要なら、それをつくるために声を挙げたい」。忘れられない悲しみを、人のための制度に変えていく。
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