2011年3月11日に発生した東日本大震災は、ここ中原区にも大きな爪痕を残した。
その時、街の状況は…
中原区で観測された震度は5弱。街の至るところで信号が消灯し、交通はマヒ。地元の消防団らが手信号で対応した。停電が発生したのは約8万900件。その薄暗いスーパーやコンビニには食料品や日用品を求めて人が殺到。弁当や缶詰などはもちろん、電池や懐中電灯など生活に必要なあらゆる商品が売切れとなった。
また、ガソリンスタンドには車列が。石油化学コンビナートが被害を受けたことからガソリンの供給が途絶え、焦りの色を見せるドライバーの姿も見られた。
武蔵小杉エリアの高層マンションでは多くのエレベーターが稼働停止状態に。そのため、40階以上の階段を歩いて上り下りする居住者もいた。さらに「エレベーターに閉じ込められた」という報告は、震災後3日間で、区内で8件あった。
影響はあらゆる場面に
4月1日に統一地方選挙を控え、地元の候補者らにとっては選挙戦真っ只中での震災。そのため、公約に「災害に強い街づくり」「防災強化策」などを掲げた。
また震災後は、多くのイベントが中止に。そんな中、「がんばろう日本」の合言葉で、区内にも支援の輪が広がった。震災3日後に緊急理事会で募金活動を行った川崎中ロータリークラブを皮切りに、各団体や企業、商店街などでも義援金を募り被災地支援が行われた。
開幕を迎えたばかりだった川崎フロンターレも、3月の全試合が中止に。その後、4月2日にJ2・横浜FCと全席無料の復興支援試合を開催し、被災地から避難していた42人を含む1万5241人が観戦。中村憲剛選手や三浦知良選手らのプレーが元気と勇気を与えた。なお、被災者を受け入れた川崎市とどろきアリーナには震災2カ月後も約90人が生活を送っていた。
中原区内では今も多くの団体などが被災地支援を行っている。
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