平成24年に発行された中原区区制40周年記念写真集編集委員会の副委員長を務めた、郷土史研究家の羽田猛さん(84)。残り僅かとなった平成の、中原区の移り変わりについて話を聞いた。
平成の中原区の始まりは、元年の頃から増え始めた各企業の工場の移転と商業ビルの建設にあるという。
羽田さんは「昭和の頃は田んぼや畑が多かった小杉周辺も、時代とともに工場や企業のグラウンドが多くなっていき、変電所もありました。武蔵小杉駅のすぐ前にもグラウンドがあったんですよ」と振り返る。
中原市民館の前は横浜正金銀行(旧・東京銀行の前身)のグラウンドで、武蔵小杉の駅前(北口)は第一生命のグラウンドが広がっていた。JR南武線の武蔵小杉駅があったところは「グラウンド前駅」という名だったという。
大きな変化が起きたのは平成20年代。市街地再開発事業により工場を拡大することができなくなり移転が加速。横須賀線の新駅周辺にあった(株)不二サッシが平成19年に移転、現在のグランツリー武蔵小杉から府中街道あたりの敷地にあった東京機械製作所玉川製造所の工場も平成23年に移転し、そこで働いていた社員の姿は消えていった。
その後、小杉の代名詞ともなっているタワーマンションが建ち始めた。平成21年には、当時最高階数の59階建てマンション「パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー」(約200メートル)が完成。23年、24年頃に建設ラッシュを迎える。武蔵小杉駅周辺を長く撮影してきた羽田さんも「こんなにタワーマンションが林立する街になるとは思ってもいなかった」と語る。やがて、病院跡にららテラス武蔵小杉、東京電力中原変電所跡には東急スクエアといった商業施設が建設された。
続く「再々々開発」
羽田さんは「武蔵小杉は平成に入ってからは、開発の上に再開発がされてきたように段階を踏んできた。それでも開発は続いており、今は再々々開発といったところでしょうか」と語るように、今年4月には小杉小学校が新たに開校し、今後、日本医科大学武蔵小杉病院の新病院建設も予定。小杉3丁目の開発も進んでおり、新たな道路の整備も進行していく。
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