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「川崎大空襲」 未来への糧に 75年、梅津さんが初の証言

社会

掲載号:2020年4月10日号

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資料を手に、当時の様子を語る梅津さん
資料を手に、当時の様子を語る梅津さん

 川崎大空襲から15日で75年。当時空襲を体験した梅津政之輔さん(89)は、先月川崎市平和館で講演を予定していたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。本紙では、初めて市民に伝えるはずだった当時の様子や次世代への思いを聞いた。

◇  ◇  ◇

 梅津さんは12歳の頃、父の仕事の都合で池田町(川崎区)に移り住み、旧制の横浜第二中学校(現・横浜翠嵐高)に通った。2年の秋、鶴見に住む友人と遊んでいたとき、米軍のB29爆撃機が總持寺近くに墜落した瞬間を目撃。黒煙が立ち昇る現場へ駆けつけ、残骸の中からラジオを聴くための発電機を探していたところ、大きな編み上げ靴を見つけた。「持ち上げて中を見たら、血のついた足首が残っていた。怖くなって友人と逃げ出したよ」。初めて見た戦争の犠牲者は米兵だった。

 1945年3月10日夜、赤く染まる東京の空を自宅から眺めていた。一週間後、父の指示で門前仲町に住む親戚の安否を確認するため列車で東京駅へ向かった。外に出ると一面は焼け野原。「隅田川の岸で警察官や警防団が集まり、若い女性の遺体をロープに巻き付け引き上げていた。恐怖のせいか、自宅までどう帰ったか記憶がない」

「何も感じなくなった」

 4月15日に空襲警報が鳴り、いつものように母と赤ん坊だった妹の3人で庭の防空壕に避難し息を潜めた。「B29が落とした焼夷弾がトタン屋根を叩きつける、ザーっという夕立のような音は今も耳に残っている」。市役所から2キロほど離れた池田町の一角は焼け残り自宅も無事だったが、その後も幾度となくB29の大編隊が川崎を襲った。道に倒れる黒焦げの遺体、防火用水に顔をつけたままの焼死体、鶴見川を流れる腹の膨らんだ水死体―。「まるでマネキン人形の黒焼きでも見ているかのようでね。いつしか何も感じなくなった自分に気付いたよ」。

 その後、疎開先の山形県で終戦を迎えた梅津さん。「同じ町に疎開していた小学生がいたけど、終戦から2カ月経っても親が迎えに来ない子が数人いた」。川崎に戻ってきたのは10月。市役所周辺は焼け野原のままで、防空壕にトタン屋根を載せて生活している孤児も見かけた。「疎開先の子と重なって見えた。75年経つ今でも思い出す」。

 梅津さんが伝えたいのは未来への願い。「紛争は今も世界で起きている。戦争の歴史に無関心でなく、未来をつくる糧にしてほしい。自分の意見を述べ、異なる意見の人と対話する努力を」。残された人生、機会があれば講演するつもりだ。

 5月6日(水)まで開催予定の川崎大空襲記録展については市平和館へ。

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