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中原区 社会

公開日:2023.07.14

井田杉山町在勤 島利夫さん(81) 怖いのは、知らないこと
軍医だった父の死 「無駄にしない」

  • 戦争体験を後世に伝えようと、所属する川崎中ロータリークラブで講演した資料を手にする島さん

 「戦争をしてはいけないんだ。あの頃と同じ雰囲気になっている気がしてならない」。太平洋戦争末期の1945年8月1日深夜、市中心部を襲った「富山大空襲」は、当時3歳7カ月だった幼子ながら断片的な記憶として残っている。飛来したB29爆撃機の轟音、乳母車に乗せられ暗闇の中を母親と逃げた場景、自宅の屋根が焼け落ち天井から立山連峰が見渡せたこと――。「怖かったし、悲しかった」

 その一年半前の44年2月、西太平洋のトラック島周辺の海域で、軍医だった父が乗っていた輸送船が米軍機の空襲に遭い、沈没した。35歳での戦死。さすがに父との記憶はない。

 学生になった頃、父の仏壇の脇に、出征の際に母に宛てた遺書を見つけた。「命を懸けての大切な長男次男。小生今日迄未だ未だ可愛がりが足りなかった。未だ未だ可愛がり愛撫したかった」「お前の身体を自愛して子供の教育にあたってください」「元気で発つ。祖国の光栄のために」。悔し涙が流れた。

 つらい思いをさせたくないと、母に父のことを聞くことはしなかった。「優しい人だった」という母が発した一言だけを胸にしまって生きてきた。

 父の遺志を継ぎ、医者を志すことを決め、金沢大学医学部へ。76年に米国へ留学し、帰国の際にトラック島を巡礼した。「やっと父のそばに来れたかと思うと、感慨深かった」

 83年、中原区内に、脳神経外科整形外科医院を開院。父の思いを汲み、40年経った今も患者に寄り添い続けている。

 戦争に関する書物や資料を読めば読むほど、太平洋戦争は始めるべきでなかったとの思いが募る。危惧するのは、今の時代を生きる多くが戦争を知らない世代ということ。「知らないことが一番怖い。世界が再び同じ道を歩もうとしている」。戦争の無残さを体験し記憶する最後の世代として、後世に伝えることが責務と感じる。「ふるさとで待つ愛しい家族に会いたくても会えなかった人たちの死を、決して無駄にしてはならない」

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 戦後78年を経て、戦争の記憶が風化しつつある。体験者の記憶を後世に残すとともに平和の意義について考える。

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