生まれも育ちも片平。柿生村だった頃から、代々続く農家の長男として、このまちで暮らし、移り変わりを見つめ続けてきた。地域の特産でもある禅寺丸柿の保存会の会長、川崎フロンターレの応援組織である麻生アシストクラブの会長などを歴任し、長年まちづくりに関わり続ける。
辺りがまだ里山だった少年時代。舗装のない道を荷物を背負って、小学校の分教場に通っていたことが印象に残る思い出だ。野球が得意だったこともあり、スポーツに関心があった。小学3年生の頃から新聞記事を収集。2017年、80歳の節目には「郷土愛という夢〜新聞記事収集70年 世相の記録とともに〜」を上梓した。
「ふるさと意識が薄らいできているように感じる。郷土愛精神を持っていてほしい」-。そう語るには理由がある。禅寺丸柿もそうだが、昔から親しまれ、続けられてきた行事が徐々に減ってきた。そうした行事や慣習があって、今のまちが育まれてきたからだ。「小田急多摩線ができてから急速に変わっていった。それまでのふるさとのことを子どもたちや、大人にも知ってもらいたい」。その思いから地域で活動を続けている。
まちの開発とともに、生活が便利になり、人口も増えてきた麻生区。来年、区制40周年を迎えるが、今後、地下鉄の延伸など、これからも発展が見込まれる。「まちが変わっても、昔のように人と人の心が通う交流、心の豊かさがわかるまちになってほしい。フロンターレをはじめとしたスポーツでの活性化に期待したいし、歴史を尊ぶようなまちになってほしいね」。これからも、郷土愛を大事にしたまちづくりを願い、自らも活動を続けていく。
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