麻生区 コラム
公開日:2023.05.05
柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」校歌・校旗の誕生【1】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)
校歌の誕生、校旗の誕生
柿生中学の校歌は、創立9年目の昭和31(1956)年にお披露目され、校旗は10周年を記念して、創立10年を迎えた昭和32(1957)年に作成されました。創立の年昭和22(1947)年は、戦後の混乱期にあり、この連載で記したように、新制中学校の創立自身が、GHQによる教育改革の一環として、十分な準備期間もないままに出発したものでしたから、先ずは教室や教材、教員の確保が先決でした。そのため開校に合わせて校歌や校旗を制定することにまで、手が回らなかったのです。事情は理解できるのですが、それにしても、開校10周年を迎えるまで、校旗がなかったとか、開校から9年間も校歌が作られなかったというのは、遅すぎる気がします。
何故そんなことになったのか。創立時に必要な校地・校舎を確保できず、柿生小学校の好意で、小学校の校舎の一部を間借りする形でスタートした柿生中学校は、2年目に入学してくる新1年生分の教室がなかったのです。不足する教室は近くの公民館や旧青年学校の校舎を使っての分散形式で凌ぐしかありませんでした。昭和29(1954)年になってようやく分散形式は解消したものの、グラウンドは1周およそ120メートルの楕円形のトラックがやっととれる狭さだったのです。その上、当時の柿生周辺には、まだ水道は引かれておらず、水の確保は山側に掘った汲み上げ井戸と、調理室の近くに約40メートル掘り下げたポンプ井戸に頼るしかなかったのです。ポンプ井戸のポンプは比較的頻繁に故障しましたから、その修理も大変でした。当然、体育館やプールなど望むべくもありませんでした。
(つづく)
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