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麻生区 コラム

公開日:2023.05.26

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」校歌・校旗の誕生【2】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 3代校長 磯岡寛先生

  • 校旗を先頭に入場する柿生中学校生徒(創立10周年記念全市合同大行進=昭和32年10月)

 日々の苦労が大きかったため、校歌や校旗の制定まで、考えをめぐらすことが出来なかったのでしょう。ようやく校歌が制定されたのは、昭和31(1956)年、3代校長磯岡寛先生の就任4年目のことでした。ただ、生徒たちは、正式の校歌ではなかったのですが、森健夫先生作と伝えられる「混沌の世に彷徨える 祖国の再起図らんと 清き心の若人が 柿生が丘に集い寄る」(題名不詳)と声高らかに歌っていたと、当時の1年生11期生の遊佐隆昭さんは書いています(『創立三十周年記念誌』)。校歌は磯岡校長が、玉川大学の田中末広先生に作詞を、同大の西崎嘉太郎先生に作曲をお願いし、両先生の尽力で、同年12月10日にお披露目されました。当時としては珍しい混声4部合唱のメロディーからなり、今日に至るも愛唱されています。『朝明けの紅燃えて...』に始まり、『榮えよわれら柿生中学』で終わる、あのお馴染みの曲です。生徒たちは立派に混声合唱を歌いきったそうですから、柿生中学の音楽教育のレヴェルは、当時から高かったのですね。 (つづく)

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