麻生区 コラム
公開日:2023.06.30
柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」草創期の苦心談【3】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)
後任の小島喜芳校長は1953(昭和28)年3月まで、4年半の任期中は、自前の校舎は完成しましたが、増え続ける生徒たち全員を収容することが出来ないため、旧青年学校の校舎や公民館などを臨時の教室に借用したり、必要な備品や消耗品を確保することに全力をあげました。PTAがピアノを寄贈してくれましたが、家庭科の橘川操先生を陣頭に立てて、家庭科の研究授業発表会を行い、調理室がないため校舎間の渡り廊下を使って、豆腐作りを見事に成功させ、県や市のお偉方から生徒と共に激賞され、次年度予算で買える物品が増えて、大喜びしたこともあったそうです。当時新聞各紙の取材を受け、一躍有名になった地元の事業に農繁期託児所があるのですが、農繁期休暇を利用して非農家の女生徒たちが、保育実習の一貫として託児所の手伝いをして大いに喜ばれたりと、学校と地域の絆を強めることにも貢献されました。
3代校長の磯岡先生については、前号で記しました。開校から1955(昭和30)年3月までの9年間、教頭として3代の校長と共に、新制の柿生中学校が次第に学校としての姿を整えていく過程を見つめ続けられた丸山一先生は、生徒指導に大変熱心で、生徒たちから届いた数枚の年賀状を素材として、中学生らしい年賀状の書き方について、参考例をあげながら、生徒会誌『うれ柿』の第2号に、一文を寄せていらっしゃいます。
(つづく)
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