麻生区 コラム
公開日:2023.08.11
柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」柿生小学校の移転その1【3】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)
買収に手間取ったため、起工式は昭和33(1958)年秋、校舎の完成は翌34年5月初旬。旧校舎のお別れ式と新校舎の落成式を兼ねた新校舎への移転は、同年5月15日に行われたのです。問題は柿小に統合合併することになる片平分校の方にありました。柿小の校舎が小田急線の東側から西側の片平の地に移るのですから、片平や古沢には何の異存もなく、統合合併大賛成で、移転の1年前、昭和33(1958)年に子ども達は柿小に移り、線路を渡り、長い階段を上がって山の校舎に通ったのです。ところが五力田の父母は、幼い子には遠すぎる。片平の新校舎が完成してから移ると、33年の廃校には絶対反対の姿勢を崩さず、説得に応じなかったのです。こうして1、2年生ばかり6人の児童が分校に残ったのです。教育委員会はやむを得ず、33年1年だけの措置として2人の先生をつけたのです。都市近郊地帯で、僅か6人の分校は珍しいとマスコミの評判を呼び、読売新聞に至っては、「6人のサムライ」と大きな見出しを付けた記事を掲載したのです。教委には説得の失敗を責められ、マスコミには追い回されと、当時の校長とPTA会長は大変お気の毒でした。こうして片平分校の閉鎖は1年遅れ、昭和34(1959)年となったのです。
小学校の移転は、中学校には大変有難いことだったのですが、その点は次回に...。
(つづく)
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