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麻生区 コラム

公開日:2023.08.18

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」柿生小学校の移転その2【1】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 昭和30年代の授業風景。研究授業で見学者もおり、皆真剣な表情です

  • 4代目校長 榎本酉之輔先生

  • 昭和34年当時の柿生中学校全景

◆柿生小学校の校地と校舎の譲渡◆

 柿生小学校の移転について、中学校から働きかけたことは一度もありません。移転はあくまでも小学校の独自の判断で決められたのです。ただ、昭和31(1956)年に移転計画が明らかにされた段階で、当時の3代目校長磯岡寛先生が、移転計画の説明を受け、協力を約束したことは事実です。こうして小学校が移転することによって生まれる跡地は、手狭で増築の余地のない中学校の用地に転用するので、一切無駄は生じないと、川崎市教育委員会に説明して移転の了解を得ることができたのです。翌32(1957)年から片平の現校地の買収交渉に入り、買収が完了して起工式を行ったのは33(1958)年秋の事でした。それから半年強の時を経て、校舎が完成して小学校の移転が完了したのは34(1959)年5月15日。同月18日には落成式典も行われました。

 移転の相談を受けた磯岡寛校長は、33年7月に退任。小学校の起工式や落成式典、そして校地校舎の引き渡しに臨んだのは、4代目校長の榎本酉之輔先生でした。先生は33(1958)年7月8日に着任なさると、なんと45(1970)年8月31日まで12年間にわたって柿中校長を務められました。歴代最長記録です。よほど柿生の風土と柿生中学校の生徒や父母、そして先生方との交わりがお気に召したのでしょう。

(つづく)

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