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麻生区 コラム

公開日:2023.09.01

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」柿生小学校の移転その2【3】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 昭和30年代の授業風景。研究授業で見学者もおり、皆真剣な表情です

  • 4代目校長 榎本酉之輔先生

  • 昭和34年当時の柿生中学校全景

 柿生小学校の校地校舎を譲り受けたのは、榎本校長の就任2年目の事でした。念願の広いグランドが使えるようになると、生徒たちも先生方も大喜びでしたが、中学校と小学校の校庭には、2mの段差がありました。ですから、中学校の校庭を2m掘り下げる必要があったのです。倒壊の危険のある小学校の古い建物の取り壊しを行う傍ら、ご父母、地域の方々に先生や生徒も加わって、中学校のグランドの掘り下げ作業を続けたのです。掘り出した土は、新築移転した柿生小学校の一部校地の埋め立て用に使用することになり、トラックで小学校に運ばれました。

 広いグランドは、柿中の生徒たちにとって長年の願いでした。これまでは、楕円形で辛うじて1周120m程度になるグランドしかなかったのです。体育祭では小さな楕円を何度も何度も走ったのです。そのため柿中の生徒は他校生に比べカーブワークに優れ、直線で抜かれても、カーブで抜き返して、好勝負を演じていたのです。校庭の掘り下げ作業は長期に及び、残念ながらこの年昭和34(1959)年の運動会は中止せざるを得なかったのですが、翌年からは、広いグランドを使って、思い切り走り回れるようになりました。   (つづく)

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