戻る

麻生区 コラム

公開日:2023.11.03

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」そして「思い出の丘」(その1)【2】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 柿小百周年記念の「思い出の丘」碑

  • 臼井義胤氏の肖像写真(左)と臼井義胤氏頌徳碑

 戦前・戦中この地には天皇・皇后の御真影と教育勅語を納めた奉安庫と二宮尊徳の銅像が建っていました。このうち二宮尊徳像は、戦時中の資材不足を補うために国に供出することになり、台座から外されて姿を消しました。奉安庫もまた昭和21(1946)年1月の天皇の人間宣言後に取り壊されました。空白の地となった奉安庫の跡に、「臼井義胤氏頌徳碑」が建てられたのは、それから間もなくでした。「思い出の丘」の最初の碑が登場したのです。

 「臼井義胤氏頌徳碑」は、柿生教育史の大恩人、臼井義胤氏の功績を後世に語り継ぐために建てられました。柿生地域は、片平、下麻生、岡上、黒川、上麻生と5校もの尋常小学校を抱え、その人件費や経常費の負担が重く、高等小学校を建てる資金がどうしても工面できなかったのです。切羽詰まった柿生地域の代表者は、下麻生出身で東京に出て成功し、大富豪となった臼井義胤氏を東京の自宅に訪ね、高等小学校の建築費を援助してほしいと願い出たのです。

(つづく)

 ―・―・―・―・ー

 柿生郷土史料館では、現在ボランティアを募集しています。

 【1】機関紙『柿生文化』の編集担当(記事の調整、紙面レイアウト、ゲラ校正、印刷発注など)【2】HP担当(HPの維持管理、更新、史料館の活動紹介、問い合わせへの対応)。

 詳細の問い合わせは、史料館HPの問い合わせコーナーから。

  • LINE
  • X
  • Facebook
  • youtube
  • RSS