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麻生区 コラム

公開日:2024.01.12

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」そして「思い出の丘」(その2)【6】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • (右)白井錠次郎先生頌徳碑。「思い出の丘」の臼井義胤氏頌徳碑のすぐ脇に並ぶように建っています(左)白井錠次郎先生

    (右)白井錠次郎先生頌徳碑。「思い出の丘」の臼井義胤氏頌徳碑のすぐ脇に並ぶように建っています(左)白井錠次郎先生

  • 青戸四郎右衛門先生

    青戸四郎右衛門先生

  • (右)明治10(1877)年 完成した頃の下麻生学校(左)青戸先生報恩碑。後方校舎と体育館を結ぶ渡り廊下

    (右)明治10(1877)年 完成した頃の下麻生学校(左)青戸先生報恩碑。後方校舎と体育館を結ぶ渡り廊下

 そんな青戸四郎右衛門先生の報恩碑建立の機運が盛り上がるのは、先生が退職されてからかなりの年月が経過した大正11(1922)年の事でした。この年上麻生分教室を退職された白井錠次郎先生の頌徳碑建立とまさに同じ時期でした。おそらく上麻生の計画が耳に入ったのでしょう。そういえば下麻生小学校の基礎を築いた青戸先生に感謝する碑をまだ作っていない。是非この機会にということになったのでしょう。青戸先生の薫陶を受け、教師の道を志し、後に下麻生小学校最後の校長を務められた小沢松蔵先生が呼びかけたところ、すぐに16名もの発起人が集まり、140余名の賛同を得て、大正13(1924)年5月、青戸先生報恩碑と名付けられた大きな碑が、当時の下麻生学校(現在の尾作材木店のところ)に隣接した青戸家の庭に建立されたのです。

(つづく)

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