さがみはら中央区 社会
公開日:2025.07.31
戦車闘争の熱を次世代に
相模原地方自治研究センター
1972年、ベトナム戦争中に在日米陸軍相模総合補給廠から戦車を戦地に送る搬出を市民で阻止した「戦車闘争」。相模原地方自治研究センター(武田秀雄理事長)は、このまちで起こった反戦運動を次世代に語り継ぐ活動を続けている。「相模原市で起きたことを知ると、まちの見え方も変わり、平和を考えるきっかけになる」と武田理事長は話す。
全国から集まった労働組合員や市民、学生ら約3千人が「西門」に約100日間、テントを張り座り込みを行った。先の大戦の記憶が鮮明に残っていた市民は、間接的にも戦争に加担することを許さなかった。その様子は当時普及し始めたテレビでも放映され、話題を呼んだ。
市民運動の最中でカメラを構えていたのが同センター発足当時の事務局長を務めた檜鼻達実さん。「檜鼻さんの思いがあることが、センターとして取り組む意義です」と武田理事長。しかし現在、市内で起きた大きな闘争を知る人は年々減っている。「記憶も記録も掘り起こして、事実として受け継いでいくことが大事」と、同センターでは戦車闘争から50年を迎えた2022年にブックレットを作成。実際に参加した人のエピソードや膨大な資料をまとめ上げた。発行後の反響は大きく「全国から問い合わせがあった」と当時の市民の熱量を改めて感じた。さらに、当時の話をもとにした漫画『西門であいましょう-戦車闘争からのメッセージ-』も発行。「知ってもらうことで考えるきっかけになる。未来を生きる若い世代にも伝えていきたい」と込めた思いを話した。
今のありがたみを
53年前の運動を知ることで見えてくるのは、現在のまちづくりの姿だという。戦時中、相模原市は軍都として栄えた。1937年に陸軍士官学校が移転してきて以降、多くの軍事施設が点在したが、終戦を機に米軍に接収された土地も多く、今なお残る相模総合補給廠もまさにその一つである。1974年に実現した「キャンプ淵野辺」の返還も戦車闘争を発端とする先人たちの市民運動の結果であり、それらの土地は現在、市立淵野辺公園やJAXA相模原キャンパスへと生まれ変わり相模原市のまちづくりの骨格となっている。「どれも今の市民の生活には欠かせない場所ばかり。歴史を知って今のありがたみを感じてもらいたい」。現在も子どもたちへの伝承のため、教育現場への浸透のきっかけづくりを同センターが担えるよう取り組みを続けている。
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