さがみはら緑区 人物風土記
公開日:2023.10.05
相模原原爆被災者の会の会長を務める
丸山 進さん
南区相模台在住 83歳
平和を唱える原爆の語り部
○…広島出身で5歳の時に被爆。その経験を後世に語り継ぐ。橋本公民館で開かれる講座を控え「学校で話すことは割とあったけれど公民館で話すことはあまりなくて」と少し緊張した面持ち。それでも「同じ過ちを二度と繰り返してはいけない」の想いで、依頼があれば可能な限り檀上に立つ。当時の記憶を話すことで核兵器廃絶と平和の大切さを訴えている。
○…家は原爆ドームから2キロほど離れた所にあった。父と兄は疎開先で、祖母と上の姉は自宅、自身は自宅そばの空き地で被爆した。爆風で気を失い、気付いた時には体のあちこちにガラスが刺さっていた。「目を覚ましたら真っ暗で。景色は違うし痛いしで泣いていた」と思い起こす。偶然知人に会えて家族と再会できたが、爆心地近くで働いていた下の姉を亡くしてしまう。「幼くてうろ覚えなことも多いけれど、あの日のことは忘れられない」。悲惨な状況は今でも、鮮明に脳裏に映し出される。
○…広島から長崎の炭鉱の島に一家で移住。幼少期は体が弱かったが、次第に海で泳ぎ回るほど元気な少年に。理数系が得意だったことから20歳で東京の家電製造工場に就職した。結婚を機に相模台へ移り住み、46歳で独立、製作所を営んだ。「夜なべや徹夜ばかり。家内は大変だったと思う。苦労かけたね」と妻への感謝を口にした。
○…市と県の原爆被災者の会会長を兼務。自治会長も8年務めあげ、今も福祉ボランティアや小学校見守りなどの地域活動を続けている。趣味は園芸。元気の源でもあり「ブドウにキウイ、ビワとかね、小さい庭に1つずつ育ててるよ」と満面の笑み。「この世から核兵器を無くす」のが人生最終目標。「最期まで核廃絶を訴え続けます」。真っすぐな目で語った。
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