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八王子 コラム

公開日:2023.12.14

―連載小説・八王子空襲―キミ達の青い空
第3回 作者/前野 博

 (前回からのつづき)

 キミの誕生日が来る。九十六歳になる。まだ生きるであろうし、隆もそう願っていた。

 キミがこの施設に入って、三年が経っていた。五年前から認知症の症状が現れ、急速に介護が大変になった。一人暮らしのキミの家に、隆が泊まりこむことになった。昼間は、隆の妻と姉が、交互にキミの面倒を見に来ていた。

 だが、それも限界であった。キミの認知症が進み、昼夜が逆転するような生活となった。日中、キミは寝ていることが多く、夜になると徘徊し、屋外に飛び出すこともあった。糞便の後片付けも以前より面倒になってきた。家での介護を無理して続けると、隆自身が危険な状態になりそうであった。

 幸い、隆の父親がキミに残してくれた、それなりの財産があった。妻が、隆達の家からそう遠くない所にある介護施設を見つけてきた。キミが施設に入るのを嫌がるかと思ったが、すんなりと入居してくれた。

 「家に帰りたいかい?」

 時々、隆が母に訊くことがある。

 「いいよ、ここでいい。ここにいるよ」

 キミは隆の心を見透かしたように返事をする。

 「キミさん、キミさん、これからお部屋の掃除をしますからね」

 介護担当の若い女性、由美子さんが部屋に入って来た。

 「いつも悪いわね。この人とても良くしてくれるんだから、隆、お礼を言っておくれ」

 キミは、まだ、自分の名前も倅の名前も分かるのであった。隆は、由美子さんに頭をちょっと下げて、日頃、母が世話になっている礼を言った。

 「由江ちゃん、そんな所にいないで、こっちに来なさいよ。ねえ、由美子さん、こっちに来るように言ってあげて」

 部屋の入り口の方を、キミがじっと見ていた。誰もいなかった。キミはしきりに手を振って、そこにいるらしい由江ちゃんを呼んでいた。

〈つづく〉

◇このコーナーでは、揺籃社(追分町)から出版された前野博著「キミ達の青い空」を不定期連載しています。

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