八王子 コラム
公開日:2026.10.15
―連載小説・松姫 夕映えの記― 第13回 作者/前野 博
(前回からのつづき)
二人の姫君は督姫の所へ走り寄るなり、楽しそうに笑い声を響かせ遊び戯れていた。物見遊山にでも行くつもりのようであった。北条夫人は天真爛漫に笑っている貞姫をじっと見ていた。涙が頬を伝っていた。
「貞姫の姿を見るのもこれが最後かもしれませんね」
「そんなことはありませんよ。武田は必ず勝ちます。織田などに負けはしません。すぐに姫君に会える日が来ますよ。それまでは私が姫君達を安全にお守りします」
松姫は悲観的に考えたくはなかった。武田家の滅亡などあろうはずはないと思っていた。だが、あの木曽義昌の母親、子ども達の無惨な磔の光景はすべてを暗転させていた。索漠とした風が城内を吹き抜けて行く。何が起こるかわからなかった。姫君達は無邪気にはしゃいでいた。松姫は子ども達をしっかり守らねばと決意を新たにした。風は一段と強くなった。
二、
「御聖道様は入明寺へお移りになされました」
館の奉公人なのであろうか、松姫一行が到着するのを待っていた。
「おまえは栄吉ではないか?」
御寮人衆の中村新三郎が声を上げた。松姫にはお付きの武士である御寮人衆として、石黒八兵衛を頭として五人が付き従っていた。
「あれ中村の旦那! お久しぶりです」
「栄吉、何故ここにおるのだ?」
「新三郎、待て。話は後にして栄吉とやらに入明寺へ案内させるのだ。姫君達は大層お疲れじゃ。日も暮れて来る。入明寺へ急がねばならない」
石黒八兵衛は閑散として静まり返った躑躅ヶ崎の館を見た。隆盛を誇った躑躅ヶ崎も今は武田の一族・家臣から見捨てられ、寂しく織田軍侵攻の恐怖に耐えているかのようだった。
入明寺まで栄吉とその女房お梅が先に立って、松姫一行を案内した。日も暮れ寒さもつのってきた。
〈続〉
◇このコーナーでは、揺籃社(追分町)から出版された前野博著「松姫 夕映えの記」を不定期連載しています。
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