2018年(平成30年)は明治元年から150年――。内閣府では、「明治150年」を機に、明治以降の歩みを次世代にのこすことなどを目的として、地方公共団体や民間と協力して各地で関連施策を実施している。多摩市では、明治天皇と深い関わりのある「旧多摩聖蹟記念館」(連光寺)で、1月6日(土)から企画展「漢詩(からうた)と和歌(やまとうた)〜維新志士のうたの世界〜」を開催する。入場無料。
「旧多摩聖蹟記念館」「聖蹟桜ヶ丘」。これらの施設、駅の名に付けられた「聖蹟」という言葉。これは明治天皇がこの地を訪れたことから名付けられたものだ。
市教育委員会文化財係によると、明治天皇が初めて今の多摩市を訪れたのは、明治14年(1881年)。宇津貫・御殿峠周辺(現八王子市)で狩猟を行った際、急遽、連光寺村にも立ち寄り狩猟を行うことになったという。この時に連光寺村で対応したのが、村の名主や県会議員をつとめた富澤政恕(まさひろ)と長男・政賢(まさよし)。天皇は、富澤邸で昼食をとり、向ノ岡などで兎狩りを行った。この富澤邸は現在、多摩中央公園に移築され、「旧富澤家住宅」として市で保存・活用している。
この行幸がきっかけとなり、今の多摩市域の大部分が天皇の「連光寺村御猟場」に指定され、その後も兎狩りに訪れたという。御猟場は、大正6年に廃止されるも、昭和に入り、かねてから明治天皇や、幕末・維新の志士たちの顕彰活動を行っていた元宮内大臣の田中光顕が連光寺に注目。連光寺の「聖蹟」の保存と顕彰を目的として、明治天皇・皇后が連光寺の行幸の際に詠んだ歌碑を建立した他、「明治天皇騎馬像」も制作。安置する施設として「多摩聖蹟記念館」を建設、昭和5年に開館された。
また京王電気軌道(現京王電鉄)の「関戸駅」が昭和12年に「聖蹟桜ヶ丘駅」に改称されるなど、地域で「聖蹟」化が進められ、その名が定着していった。
記念館の学芸員・芳野貴典さんは「明治天皇が行幸の際に通った橋が『行幸橋』と名付けられ今も残っていますし、桜ヶ丘公園の内外にも明治天皇が立ち寄った『御ノ立所』の碑がいくつか残っています」と話す。
「漢詩(からうた)」「和歌(やまとうた)」がテーマ
その「旧多摩聖蹟記念館」で今回、「明治150年」関連企画として1月6日から4月22日まで、幕末・明治にかけて活躍した人物たちの「漢詩」「和歌」に焦点をあてた企画展を実施。田中光顕が収集し、収蔵される多数の幕末・維新志士の遺墨の中から、勝海舟や伊藤博文らが詠んだ詩の掛け軸が多数展示される。
芳野さんは「大河ドラマの主人公となる西郷隆盛のものもあります。来年度以降も関連企画を行う予定で歴史見学会なども検討しています」と話している。
詳細は、市教育委員会・文化財係【電話】042・338・6883へ。
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