横須賀・三浦 社会
公開日:2025.07.11
逃れた地で技術伝えた
沖縄の伝統染物「琉球紅型」
鮮やかな色彩と沖縄の自然をモチーフにした柄が特徴的な染物「琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)」。太平洋戦争中、戦火を逃れて横須賀に疎開した沖縄県民が柄の見本として制作したとみられるサンプル品が、市内で発見された。同品を所有していた横須賀中央の着物の直し屋から、若松町で古着店を営む「ディッシャーズ」が43点を預かって店内で展示している。同店代表の生武浩一さん(57)は「誰かの手に渡ることは避けたい。博物館などに貸して、戦時中に伝わった文化を知ってもらいたい」と語る。
琉球紅型は13世紀ごろ沖縄で成立し、中国など近隣諸国との交易に用いられたとされる。藍や墨などで染めた紅型に、糊(のり)を絞り出しながら模様を描き、風呂敷などのデザインに用いる。沖縄戦の影響で文化が途絶えかけたが、戦後、生き抜いた技術者らにより復興。1984年に国の伝統工芸品に指定された。
生武さんと紅型との出合いは昨年末のこと。市内にあった直し屋の建物の解体に立ち会った際、和紙に版画されたものを数十枚発見。赤や青で鮮やかに彩られた花模様が目に留まった。「趣味の版画とはまた違う、見たことがない柄だ」と驚き、周辺の呉服店に聞き込んだ結果、戦時中に旧日本軍のつてを頼り、沖縄から市内に疎開した技術者が制作したものであることが判明した。当時はコピー技術がなかったため、和紙に版画で柄を写し、軍部による規制の影響でボツになったデザインを遺していた可能性があるという。技術者は数人いるとみられ、数点には「K・M」などとイニシャルが刻まれている。本名やその後沖縄に戻ったか否かは明らかではない。
生武さんが自身の店で展示することを決めた理由は、戦後80年の節目に戦争の足跡を追って、文化は平和があってこそ成り立つと伝えるためだ。「戦争に巻き込まれないための努力が必要。多くの親族が戦死した私には、戦争で無くなりかけた文化が横須賀で細々と残っていたことを伝える役割がある」
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