横須賀・三浦 社会
公開日:2026.01.30
船越町川島さん
焼きたて一番 今日も元気
100歳の店主現場に立つ
人生100年時代といわれる昨今。その言葉を体現するかのように、100歳を迎えた今も現役で働き続ける女性がいる。横須賀市船越町の製パン店「川島や」店主の川島増子さんだ。少し背が丸まっているが、店先に立つ晴れやかな笑顔と軽快な動作からは、一世紀の歴史を歩んできたとは到底思えない。
川島さんの朝は早い。毎朝5時に起床すると、自宅兼店舗である建物の1階へ。「今日はどれくらい売れるかな」と考えながら、すぐさま仕込みを始める。小さなオーブンで数回に分けて焼き上げるパンは30個ほど。ふんわりと良い香りを漂わせ、焼きたてが店頭に並ぶのは午前10時頃だ。
その後は、休む間もなく店の顔として店頭へ。接客も川島さんにとって大切な仕事だ。レジさばきはお手の物。「指がしびれちゃって。年のせいだね」と、来店客とにこやかに世間話を交わす。
閉店は午後6時頃。店の片づけを終えても、「女は100歳になっても大変」と夕食の支度に取り掛かる。昔に比べて量こそ減ったが、週に4日は肉料理。食後にテレビを付けても翌日の仕事が頭に浮かんでのんびりできず、ドラマを途中で切り上げて寝床へ。「だから、いつも犯人が誰か分からないの」。生活の中心が仕事の日々だ。
週末になれば、たまった事務仕事の処理。帳簿付けに時間を費やし、「丁寧だって税理士さんに褒められる」とうれしそう。息抜きはお酒。「なんでも飲めます」と日本酒からワインまでジャンルを問わず、友人と連れ立って夜の街に繰り出すこともしばしば。「汐入の『厨(くりや)』って知ってる?いい店なのよ」
くぐり抜けた戦火
出身は横須賀市田浦。日本で初めてラジオ放送が始まった1925年の11月に生まれた。田浦尋常小学校(現田浦小学校)、横須賀高等女学校(現横須賀大津高校)を卒業し、地元の銀行に就職したのはちょうど日本が太平洋戦争へ舵を切った頃のことだ。
その後まもなく、安全な土地を求めて家族で静岡県沼津市へ転居。しかし、戦争の脅威から逃れることはできなかった。
45年7月の深夜、B29の編隊が沼津の上空に飛来。焼夷弾が降る中を懸命に走って逃げた。「ブシュッ、ブシュッ」と不発弾が田んぼに突き刺さる不気味な音は、今も耳から離れない。
幸い家族は無事だったが、家は焼失。母の実家がある静岡市へ移住を余儀なくされた。「いつ死ぬか分からない状況でも、誰かを恨む気持ちにならなかった。教育とは怖いもの」
仕事が生きる原動力
終戦から一年ほど経った頃、横須賀へ戻り、女学校時代の親友の兄と結婚した。嫁ぎ先は菓子やタバコを扱う商店。二人の子宝に恵まれ、戦後の混乱が残る街で家庭を守りながら懸命に働いた。
やがて店の形を少しずつ変え、パンの仕入れを始めたのが約40年前。さらに、焼きたてを提供したいとオーブンを導入し、店内で自ら焼き上げるように。香ばしい匂いは道行く人を引きつけ、こじんまりとした店ながらも地域に必要な存在として親しまれてきた。
「いつもニコニコしていて穏やか。良き理解者だった」。そんな最愛の夫が90歳で旅立った後も、翌日には店に立った。70歳と91歳で二度のがんを経験した時も、病床で考えるのは店のことばかり。「早く戻らなければ」という気持ちが、生きる力を与えてくれたと信じる。
昔の思い出を語り合える人は皆、この世を去ってしまった。寂しくもあるが、それでも「一緒にいるとパワーをもらえる」という70代から80代の友人がいる。孫7人、ひ孫7人と家族の輪も大きく広がった。
「食べて、消化して、排泄する。体の循環作業ができているから、私はまだ大丈夫」。働くことも、遊ぶことも、毎日が楽しい100歳だ。
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