東日本大震災以降、(公社)日本国際民間協力会(NICCO)メンバーとして被災地支援を行う 宗貞 研さん 逗子市小坪在住 36歳
他人事でなく”自分事”に
○…「何かしなければ。自分には一体何ができる」。未曾有の被害をもたらした3年前の東日本大震災。報道で流れる映像を見てそんな思いが痛烈に胸を突いた。爪痕が鮮明に残る震災直後、現場で第一に求められていたのは医療支援。「看護師として10年以上、臨床の現場にいた経験はきっと役に立てる」。NICCOメンバーとして1週間後に宮城県名取市入りし、その後2年半を被災地で過ごした。
○…寝る間を惜しんで支援活動に明け暮れてしばらく、子どもたちの心理ケアを手掛けるNPOに合流。児童らと向き合う日々が始まった。主な目的はPTSD(外傷後ストレス障害)の予防。心のキズを放置すれば時を経てPTSDになる可能性があったからだ。だが当時、言葉にするのはタブー。「津波や震災。言葉がでるだけで子どもたちに緊張が走った」。そこで医師の案で絵や粘土を通じて震災の記憶を少しずつ表現させると次第に変化が現れた。「ある子が自分から『震災さえなければこんな苦労はなかったのに』って」。心の整理がつき始めた、裏返しの一言だった。
○…社会福祉の現場にいた父と医療に携わっていた母。そんな両親の下に生まれたからなのかもしれない。進路を考え始めていた高2の冬。ボランティア元年とも言われる阪神淡路大震災で支援に尽力する看護師を見て、志を固めた。当時まだ男性看護師はマイナーな存在だったが「一度決めたら意志は固いんです。熱で動いている人間ですから」
○…震災から3年、ボランティア数の激減など被災地支援の風化は進む。継続的な支援は無論欠かせない。その一方で、訴えたいことがある。「遠くの地の人たちにも震災の教訓を自らの体験にしてほしい」。復興が多少なりとも進み、教訓を学ぶ機会が減りつつあるのも事実。「津波があった時にどこに避難するか家族で話し合ったり、避難路を歩いてみたり。他人事ではなく”自分事”に」。そう結んだ。
|
|
|
|
|
|