逗子・葉山 社会
公開日:2026.09.25
99歳オペラ愛好家・清田さん(逗子)「魂のステージ」 壮絶な戦争体験、がん克服を経て100歳目前の熱唱
力強くも繊細なその歌声は、1世紀の重みか――。逗子市に今年100歳を迎えるオペラ愛好家がいる。清田幸子さんだ。9月12日には横浜市の栄区民文化センターで行われたコンサートに出演。数百人の鑑賞客を前に約5分、堂々と歌い切った。「これならまだまだ生きられる」。そう冗談交じりに笑みをこぼす姿が印象的だ。すこやかに、そして歌で充実した日々を送る彼女を追った。
この日、清田さんは車椅子でステージに登壇。数日前まで風邪を引いており、声が出るか心配だったというが、ハキハキとした発声と、高らかに響き渡るその声からは、微塵もその様子を伺わせなかった。歌唱を終えると、この日一番ともいえる拍手の嵐。「皆様に支えられ、やり遂げられた」。
ステージ裏では娘やひ孫まで家族総出で、一足早く100歳をサプライズ。清田さんは「長生きしていて良かった。最高」と笑顔でこの瞬間を噛みしめていた。
清田さんは20年程前に最愛の夫に先立たれ、現在は家族やヘルパーの介助も受けながらの一人暮らし。週に3日は市内のデイサービス「らくらく」に通う。90歳の時には大腸がんを患い10日ほど入院・手術を経験したが、見事に克服。それだけでなく、「目も耳も歯もすべて"自前"」と頬を緩ませる通り、老眼や近視はなく、補聴器も未装着という驚きの健康体だ。
そんな清田さんの元気の源であり、人生の輪郭を象ってきたのが「歌」。現在は月に1度、葉山にいる講師のもとへ通い、今なお歌声に磨きをかけている。「歌うことは、私の生きがいだね」
釜山からの引き揚げ
1945年8月15日、当時17歳だった清田さんは、家族と暮らしていた韓国・釜山で終戦を迎えた。「敵国兵が来るため、女・子どもはすぐ日本へ」──。母の言葉に従い、妹とふたり、リュックひとつで港へ向かった。
しかし終戦直後の混乱の中、乗るはずだった船は機雷で沈没。途方に暮れていたところ、偶然出会った食糧運搬船の小舟に頼み込み、決死の覚悟で乗り込んだ。荒波が吹き荒れる玄界灘を、小舟の底で耐え忍ぶこと1週間。対馬を経由し、ようやく日本に辿り着いた。
26歳で音楽大へ
終戦から2年後には母とも無事に再会を果たし、やがて結婚。当時から趣味として親しんでいた歌だったが、「本格的に学びたい」という清田さんの背中を優しく後押ししてくれたのが夫だった。26歳で広島県の「エリザベト音楽学校」(現エリザベト音楽大学)に入学し、声楽を学んだ。その後は、子どもの通う学校でコーラスを立ち上げて指導したり、地域の合唱団に参加したりと、音楽は常に人生に寄り添い、人々との縁を繋いできた。「本当に主人には感謝しかない」
いくつになっても情熱と人への感謝を忘れずに前を向くこと。人生100年時代を豊かに生きるヒントが清田さんの人生に確かに隠されていた。
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