「藤沢マイスター」に新たに選ばれた 倉田 信彦さん 弥勒寺在勤 70歳
「負けず嫌い」を職人技に
○…古い部品加工機械に自らアレンジを加え、最新技術でも出来ないとされてきた難加工を可能にする多能工。持ち前の技術と後進育成に力を注いできた実績が評価され、8人目の「藤沢マイスター」に名が刻まれた。「方々からお祝いの言葉を頂き、日に日に実感が沸いている。ありがたくもあり、責任の重さも感じる」と目を細める。
○…培ってきた経験と理論を「技術」に変え、消費者や企業からの「こんなものがあったらいいな」という思いを形にしてきた。大鍋のふたを楽に持ち上げる工夫やチタン製の指輪など、失敗を恐れず、どんなオーダーにも全力で応えてきた。「無理だと言われることであっても、挑戦せずにできないと言いたくない。人がやっていないものをやりたがる、負けず嫌いな変人なんです」と笑う。
○…生まれも育ちも弥勒寺。「実家の工場が遊び場だった」と話す通り、幼いころからモノづくりが好きだった。模型飛行機に始まり、高校時代はホバークラフトを制作。親の車をオープンカーに改造して怒られるなど、やんちゃなエピソードが次々と出てくる。卒業後は実家で10年ほど勤務し、外部の工場へ修行に。その後再び弥勒寺へ戻り、父親に負けじと新たな工場を立ち上げた。今では3兄弟それぞれの工場が軒を連ね、日々切磋琢磨している。
○…「技術は独り占めするものではない。ものづくりの楽しさを若い世代にも知ってもらいたい」。中高生向けの職業体験は、実は10年前に他界した妻と温めてきた試みだ。「ずっと支え続けてくれた。生きていたらどんなに喜んでくれたか」。しんみりするも、今は2人の娘が献身的にサポートしてくれている。「今の自分があるのは、家族や難加工を依頼してくれるお客さん、新たな発想を与えてくれる若い人たちのおかげ。自分が持っている目に見えない財産を、世のために使ってもらいたい」。笑顔には優しさがにじむ。