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怪我を乗り越え「皆が笑顔」になる経営を (株)技研社長 尾川邦秋さんに聞く
「人との出会い、家族への思いが救ってくれた」と話すのは市内湘南台に本社を構える(株)技研社長の尾川邦秋さん。交通事故で死の淵をさまよい、大手術と厳しいリハビリを乗り越え再起。後遺症を抱えながらも柔和な笑顔と還暦を超えているとは思えない活力で経営を続けている。
新時代・令和を迎えた今、当紙では尾川さんのこれまでの人生、そしてこれからの目標を聞いた。
(株)技研は、各種部品、環境機器の組み立てなどの自社工場での製造から、取引先の工場での一括請負まで幅広く対応するほか、物流から事務までも請け負える「縁の下の力持ち」として頼られている企業だ。市民に身近なところでは学校の理科教材を作っている。
起業したのは今から36年前。市役所という安定した職につきながら、当時通っていた道場仲間の「働き口」がないことを憂い「だったら作ろう」と会社を立ち上げた。決して経営は楽ではなかった。しかし、人生訓として心に刻む「他人に良く見せようとしない」「自然体であれ」に基づく仕事ぶりは市役所時代の人脈につながり、順調な成長を促したという。
事故は突然訪れた。会社も軌道に乗ってきた26年前、頭蓋骨を骨折するほどの大けがを負った。一命をとりとめたが、身体にマヒが残った。そこから3年間は車椅子と苦しいリハビリの日々。だが尾川さんは立ち向かった。支えたのは家族、特に「子どもたちを幸せにしたい」という思い。「私の子ども時代を思い出します」と尾川さん。
尾川さんは幼い頃に実の両親をなくした。親戚を転々とし、運動会、遠足などの経験もなく、差別されるなどつらい子ども時代を過ごした。「仕方なかった」と割り切りつつも苦い思い出だ。「だから自分の子どもたちや家族は幸せにしたい」。それが原動力となり、周囲から奇跡と言われる復活を遂げた。また、不在の間、会社を支えてくれたスタッフも頼もしかった。「皆に心から感謝です」と尾川さんは語った。
経営者として復帰したが、めまいや背骨の変形による腰痛など後遺症は続く。しかし、精力的な活動と飾らない人柄で、ビジネスのみならずアスリートとなど異なる分野の人と出会い、様々な励ましを受け、今日に至る。
そして64歳の今、新時代を迎え「まだやりたい仕事はある」。事業の質、量の拡大を通して働き盛りやシニアの雇用拡大を目指す。「たくさんの有能な人材がいる。そんな人たちとともに働き、湘南地区の価値を上げたい」。そしてもう一つ。「社員の家族が笑顔になれる経営を続けたい」。そう力強く締めくくった。
株式会社技研 尾川邦秋
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