藤沢 社会
公開日:2022.08.19
大庭在住 崎山稔さん(82) 「死体の感触 今も忘れず」
家族奪ったサイパン戦
「ドーーン」。雷に似た大気を引き裂くような轟音が響き、大地が震えた。
太平洋戦争末期の1944年6月。家族7人の島での暮らしは、この日を境に一変した。民間人を含む5万人近い犠牲者を生んだ「サイパン島の戦い」の始まりだった。
当時4歳半。米軍の艦砲射撃が浴びせられる中、家族と必死に山中を逃げた。途中、8歳の姉と6歳の兄が砲撃の犠牲に。父も亡骸を埋葬していたところ巻き込まれ、2歳の弟とともに亡くなった。
母と乳飲み子だった弟と逃げ込んだ洞窟で、日本兵が言った。「泣き声で居場所がばれる」。殺せ、という命令に、やむなく母が乳を吸わせながら小さい命を手にかけた。
「ここにいたら殺される」。本能で危険を悟り、母の制止を振りきって洞窟を飛び出した。海岸までたどり着き、米兵に保護され孤児収容所に。母はその後、精神を病んで他界し、家族の中では唯一生き残った。
幼少期の記憶はかすかで、多くは親戚から伝え聞いたが、戦時中の忘れられない体験がある。真夜中の山中を逃げるとき、そこかしこに横たわる遺体を踏んだ。「ぐにゃっとした感触が足に残っている」と顔をゆがませる。
「戦争はどんな理由があっても起こしてはならない。国を守ると息まいても、人の命は守らない。それが戦争だ」
サイパン島の戦いから78年。現在も「ふじさわ・九条の会」で憲法を守る活動をしているが今、憲法改正の動きが本格化しつつあることに危機感を募らせる。「310万人の日本人が亡くなった。その苦い経験を生かしたのが憲法だったはずだ」
世界に目を向ければ、ロシアのウクライナ侵攻、中国の覇権主義、世界には今なお争いの火種が絶えない。「貧困や環境問題、世界が団結しなくてはいけないときに権力争いなどしている場合ではない。我々には次の世代が安心して暮らせる社会を作る責務がある」。静かに、言葉に力を込めた。
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戦後77年を経て、戦争の記憶が風化しつつある。体験者の記憶を後世に残すとともに平和の意義について考える。
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