マトリョーシカとこけしを組み合わせた「コケーシカ」の生みの親 沼田 元氣さん 長谷在住 50歳
新しい伝統「コケーシカ」
○…「マトリョーシカ」と「こけし」で「コケーシカ」。この愛くるしくも、どこか懐かしい木形子(こけし)を誕生させ、ついには日露友好の「コケーシカ」展もプロデュース。この日本とロシアの伝統人形の出会いと交流に対し「自分自身が好きなもの同士を組み合わせたら出来上がった」と語る。
○…「実は、この二つの人形は、歴史的にもつながりがあります」。マトリョーシカが生まれたのは約120年ほど前だという。明治末期の箱根にロシア正教の避暑館があり、当時の神父が土地の名産である、七福神の木地人形を自国に持ち帰り、それがマトリョーシカの元になったそうだ。
○…伝統こけしの工人たちによる、マトリョーシカの白木地に伝統こけしの描彩を施した「コケーシカ」展は2008年に東京国際フォーラムで第1回を開催し、今回の開催地はこけしの産地で知られる宮城県に。当初、こけしの作り手たちに「コケーシカ」を説明する段階でも「ルーツが日本にあるからでしょうね、すぐに理解してもらうことができました」。
○…「写真家詩人」など多くの肩書きを持ち、著書も20冊以上。また主催した「乙女美学校」では、多くの女性たちに「『可愛い』の何たるかを知ることは、素敵に年を重ねること」と教え、”乙女”の権威としても有名。主な活動の場を都内から郷里鎌倉に移し09年、長谷に「コケーシカ」の店を開いたのは、「子どもの頃を過ごした鎌倉に帰ってきたかったのと、好きなことだけをして毎日を過ごしたい」との思いから。向かいに吉屋信子記念館のある、店舗前の道は通称「乙女通り」としても人気を集める。
○…「以前、父がこけしを集めていて、母が革命前のロシア・ウラジオストックで生まれたということも、影響している」。ロシアではマトリョーシカは「幸せな家庭の象徴」だそう。「どうぞ、一家にひとつ置いて可愛がってもらえたら」とやさしく笑った。