第8回「矢畑」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
矢畑(やばた)は茅ヶ崎市のほぼ中央にあります。
矢畑の地名が文書で最初に見られるのは、室町時代半ば(1470年)です。和歌山県の熊野那智大社に関する文書の中で「やはた五郎四郎」とあります。その後は「谷畑」「矢端」等と表記されますが、安土桃山時代(1592年)の不動産一覧表である名寄帳に、現在使用されている「矢畑」の文字が出てきます。
明治(1876年)に作られた村地図を見ると、村全体が平坦で、宅地を中心に田んぼや畑が広がっていたことが分かります。
村の中央には本社宮があります。この神社については諸説ありますが、1886年編纂「皇国地誌」では、次の様な説明があります。
東征に向かう源頼義が、この地を通り、戦勝祈願しました。その際、京都の石清水八幡宮を本社丘(茅ヶ崎保健福祉事務所の西約150m)に祀りました。それが、江戸時代に現在の南隣へ、昭和初め(1927年)に今の場所へ本社宮として移りました。
その後、これを頼義の子・源義家が浜之郷村に移し、鶴嶺八幡社としました。このことから、地元では「やはた」は鶴嶺八幡社の「八幡」と関係があるのではないかと言われています。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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