八王子 社会
公開日:2025.12.25
列車銃撃
兄からの手紙
中野上町在住 森ミツ子さん
八王子の戦災を語る上で外すことのできない「湯(い)の花トンネル列車銃撃事件」。終戦10日前の1945年8月5日、乗客を満員にして走行中の列車が八王子市裏高尾町の「湯の花トンネル」付近で米軍戦闘機の銃撃を受け、50人以上の乗客が亡くなった。列車銃撃の被害としては国内最大規模とされる事件だ。
中野上町在住の森ミツ子さん(89)は、当時小学4年生。母と二人の妹と、叔母のいる山梨県笹子村(現在の大月市笹子町)へ疎開していた。父と兄、姉は八王子に残り、家を守っていた。
兄と姉は時々、列車でミツ子さんたちの元へ訪れては食べ物や着物などを届けていたが、ある暑い夏の日、兄から疎開先の4人へ手紙が届いた。
残された者の思い
「元気ですか。昨日、僕と康子(姉)は予定より二時間遅れた下り列車で十一時四十分頃、浅川駅(現在の高尾駅)を出発したのですが、折悪く機銃掃射に遭いそちらに行き着くことができませんでした」。そんな書き出しから始まる手紙には、湯の花トンネル列車銃撃事件で兄と姉が遭遇した壮絶な経験が、生々しくも抑制された筆致で綴られていた。
「バリバリッと耳をさくような音がしたかと思うと、超満員の列車が大揺れに揺れて止まりました。窓ガラスが割れ、将棋倒しに乗客が弾にあたって死んでいきました。(中略)車内は一瞬にして血の海と化し、弾にあたった人の臓物が天井にはりついていました。泣き叫ぶ者、うめく者、本当に地獄とはこういうことを言うのでしょう」。運よく生き延びた兄と姉だったが、結核を患っていた兄は爆風で頭と胸を痛め、後にそれが原因で亡くなった。手紙には母と幼い妹たちを案じる言葉が書かれていた。「これからいろんな目にあうだろうが、その一瞬ごとによく見極めて、一番いいと思ったことを行動に移すのだよ」
兄から届いた手紙は今もなお、ミツ子さんの心に生き続けている。「最愛の兄を奪っていった戦争を心から憎んでいる。あのとき爆風を受けていなければ、あのころ良い薬や食べ物があったなら」--届かぬ思いが胸の中でこだまする。
ピックアップ
意見広告・議会報告
八王子 ローカルニュースの新着記事
コラム
求人特集
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!










