第14回「甘沼」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
甘沼は、江戸時代の村名でいうと、東と南は赤羽根、西は香川、北は堤と下寺尾に接していました。
江戸時代末期に描かれたと思われる絵図には、中央に鎮守の八幡社があり、村の北側は山林で、木立が数十本描かれています。南側は、大部分が畑で縦横に走る道沿いに草ぶき屋根の民家が点在しています。急な斜面を下り、緩やかな部分に畑と集落を作り、神社下のため池から水を引いて田んぼを作っていたことが分かります。『皇国地誌』にこのため池は昔は沼だったとあるので、村名発祥に関係があるのかも知れません。
赤羽根村との境界となる東に延びる道と、玉林寺の脇を北に向かう道と、成就院の脇を北に向かう道の3本が主要道路だったようです。玉林寺の脇の道は、県道遠藤茅ヶ崎線として整備されました。殿山公園に上る交差点に「大正十(1921)年三月二十六日改修工事竣功」と刻まれた記念碑が建ち、次の句が彫ってあります。
風光る道べの草の
何かは嬉しく
玉林寺の坂は、昔は大変な急坂でした。切り通しを作り、道路を改修することは多くの人々の願いでした。句には工事完成の喜びが表われています。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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