茅ヶ崎市南湖にあった旧結核療養施設「南湖院」の第一病舎の建物と土地が、このほど所有者の高田耕太郎氏から市に寄付された。市では茅ヶ崎市の発展に大きな影響を与えた施設の歴史的建造物として、第一病舎の保存と有形文化財としての登録、公園化などによる活用を検討していく。
高田氏は南湖院初代院長の高田畊安氏のひ孫で、旧南湖院の敷地で住宅型有料老人ホーム「茅ヶ崎太陽の郷」を運営する一般社団法人南湖荘の代表理事。今回は第一病舎の敷地(900平方メートルと24・02平方メートル)と木造スレートぶき2階建ての建物(延べ床面積230・98平方メートル)を寄付した。
市は昨年12月18日に、同法人と旧南湖院所在地の文化的所産の活用に向けた協定書を締結し【1】第一病舎の保存・活用及び公開、【2】南湖院に関する近代遺構・史料の調査・保存・公開、【3】景観や環境の継承及び学習や周知・啓発、【4】広域避難場所の指定や防災備蓄資機材の配備、【5】散策空間の公開や高齢化社会を踏まえた健康づくりなどに協働で取り組むことを定めた。市では「協定書にのっとり、登録有形文化財への登録や広域避難場所の指定、公園化などを通じて第一病舎の保存と活用を検討していきたい」と話している。
「東洋一」とうたわれた結核療養施設
南湖院は1899(明治32)年に医師の高田畊安氏により設立された。約5千坪の敷地に病舎一棟から始まり、後に約5万坪の敷地を擁して「東洋一の結核療養施設」とうたわれるまでに発展した。最初の入院患者3人の中に勝海舟夫人がいたほか、詩人の八木重吉や小説家の坪田譲治、歌人の岩谷莫哀など多くの文化人が訪れ、1908年に国木田独歩が入院した際には新聞記事にもなった。戦時中は海軍、戦後は米軍に接収され、後に高田家の手に戻った。富士山を背景にした第一病舎の景観は「関東富士見百景」にも選ばれている。1984年に建物調査を行った県教育庁文化財保護課は「南湖院の開設時からあった第一病舎が現存しているのは奇跡。南湖院の記念の碑、また県内の数少ない明治遺構の一つとして貴重」と評している。
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