茅ヶ崎版 掲載号:2018年10月12日号
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「服部市長、お疲れさまでした」 急逝に悲しみと労いの声

政治

アロハマーケットであいさつする服部市長(2018年5月12日)
アロハマーケットであいさつする服部市長(2018年5月12日)
 服部信明市長が10月4日午前8時48分、永眠した。前日夜に茅ヶ崎湘南ロータリークラブの例会で講話し、質疑応答の際に急に呂律が回らなくなってその場にしゃがみ込み、市立病院へ救急搬送。脳出血により、搬送中から失っていた意識が戻ることはなかった。57歳。16年にわたって街のために奔走した市長の訃報に、市民や関係者からは悲しみと労いの声があがった。

 「にこやかな表情だった」。服部市長が他界した日の夜、自宅へ弔問した本橋信弥さん(57)はこう語る。鶴嶺高校の同級生であり、茅ヶ崎アロハ委員会の委員長も務め、公私ともに親交のあった本橋さん。訃報を聞き、「『本当かよ』って。忙しかっただろう。これから家族とゆっくり過ごせたのに」と旧友に思いを巡らせた。

 突然の訃報だった。10月1日には、リニューアルした市民文化会館のテープカットなどで元気な姿を見せていた服部市長。急病で倒れたロータリークラブの例会出席者も「途中まで変わった様子はなかったのに」と驚きに包まれた。高血圧で薬を服用していたものの、9月の人間ドックでは異常が見つからなかった。

 服部市長は、市議、県議を2期8年ずつ経験し、2003年4月の市長選で初当選。今年で4期16年目を迎えていた。「見た目が優しく腰も低いが、頑固な男」と評すのは、『服部信明を支える会』の山本泰然(やすのり)会長(61)。任期満了まであと半年まで迫り、「最後をいい形で終わらせてあげたかったので残念。でもよくやった」と労った。

アロハとともに16年

 16年にわたり、街の発展に向けて走り続けてきた服部市長。反対する声もあった中で実現させた市庁舎の建て替え、小中学校の耐震化、保健所政令市への移行、県内ワーストだった待機児童数の大幅減など強い信念で施策を遂行した。また、市長就任と同じ03年から商工会議所らによってスタートした『茅ヶ崎アロハ事業』も、徐々に街へ根付いていった。

 前出のアロハ委員会・本橋さんは、ハワイにまつわる服部市長との思い出を懐古する。茅ヶ崎でアロハシャツが広がる中、「市長がハワイに行ったことないのはまずいんじゃねぇかって、アロハ委員会のハワイ研修に誘ったんです。そうしたらプライベートで来て」。13年2月、初めてハワイを訪れた服部市長は、親書を携えて現地の観光局にも足を運んだ。「フットワークが軽い服部じゃなきゃ姉妹都市にはならなかったと思う」と、翌14年に実現した提携締結への大きな足跡を振り返った。

声掛かれば必ず行く

 各方面から服部市長を惜しむ声はやまない。松林小、松林中の同級生で、茅ヶ崎市消防長の小澤幸雄さん(57)は「市長は茅ヶ崎を愛していた。子どもの頃から生徒会長をやっていて、市長になってもリーダーシップを存分に発揮していたのに残念」。傍らで仕事ぶりを見てきた市秘書広報課職員は「声が掛かったら必ず出向いていた」。家庭倫理の会による朝5時からのモーニングセミナーにも時折参加していた。

 10月5日には市役所に献花台が設置され、服部市長を偲びに市民や友人が続々と訪れている。

 市長がかつて経営していた補習塾で働いた江口恒太さん(40)は「子どもたちの気持ちを大事にしろという教えが心に残っている」と記憶を蘇えらせた。高校の同級生・池澤信さん(56)は卒業以降親交がなく、「38年ぶりの再会は献花台の写真でした。クラスメートが市長になり、私にとっての自慢であり、誇りだった」。夫婦で訪れた西ヶ谷和之さん(30)も「長い間、お疲れさまでした」と哀悼した。

献花に訪れた市民や関係者らが別れを惜しんだ =10/8・市役所本庁舎1階
献花に訪れた市民や関係者らが別れを惜しんだ =10/8・市役所本庁舎1階

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