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公開日:2021.10.08

東京パラ車いすバスケ
香西選手に単独インタビュー
茅ヶ崎出身の銀メダリスト

  • メダルを手にする香西選手

  • ドイツでプレー中の香西宏昭選手。 伊藤真吾/エックスワン

 9月5日に閉幕した「東京2020パラリンピック」。史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子チームで、最多得点をマークしたエース・香西宏昭選手(33)は茅ヶ崎市で生まれ、3歳まで過ごした。本紙では9月17日、リモートで単独インタビューを行った。



最多得点をマーク



 12カ国が参戦した今大会。日本代表は予選リーグを2位で通過し、準々決勝では強豪オーストラリアと対決した。ここで香西選手はチーム最多の20得点を上げてベスト4進出に貢献。続く準決勝では前回大会3位のイギリスを逆転で下し、79対68で決勝進出を決めた。



 9月5日の決勝では前回大会王者のアメリカと激突。60対64で惜敗したものの、香西選手はこの試合でもチーム最多の18得点をマークし、エースの底力を見せつけた。



「新たな歴史うれしい」



 生まれつき両下肢のない香西選手。3歳で千葉県へ移住した後、小学6年生の時に車いすバスケと出会う。高校卒業後は渡米し、英語を学びながらイリノイ大学の車いすバスケ部で活躍した。大学卒業後は車いすバスケが盛んなドイツでプロ選手として活動している。



 パラリンピックには2008年の北京大会から4大会連続で出場している。前回大会は9位と結果が奮わず悔しい思いをしてきた中で掴んだ銀メダル。「実感はまだ湧かない。けれど史上初のメダルを獲得し、新たな歴史の1ページを刻むことができたのはとてもうれしい」と笑顔を見せる。



 大会期間中は「若い選手がどんどんチャレンジできる環境づくりや空気づくりに気を付けていた」といい、「一戦ごとに自信や成長を積み重ねていったチームだった」と振り返った。「家族は銀メダル獲得をとてもよろこんでくれた」と家族の反応を明かした。



 3歳まで茅ヶ崎にいたが「実はあまりよく覚えていなくて」と笑う。「イメージはやっぱり海。海の幸とか美味しそうですね」と話す。



 取材から2日後の9月19日、ドイツへ渡った香西選手は、所属するプロチームの「RSV Lahn-Dill」に合流。今後はドイツ国内リーグ優勝とヨーロッパクラブ選手権優勝を目指し活動していく。



――パラリンピック中はどのような気持ちで過ごしていましたか。



 「自分たちが練習してきたことをやるのみだと思っていたので、あまり緊張することなく過ごしていました」



 ――さまざまな障がいレベルの選手によってメンバー構成されていますが、チームではどのように補っていますか。



 「何が出来て何が出来ないのかをしっかりと把握し、個々の強みを最大限に引き出すようにしています」



 ――車いすバスケに注目が集まっていますが。



 「多くの方に観ていただけてうれしく思います。これをきっかけにコロナが落ち着いて試合が再開されたら会場に観に来てほしいです。コロナ禍で難しい状況ですが、ここから車いすバスケがどう発展していくか鍵になっていくと思いますし、チャンスだと思っています」



 ――目標は何でしょう。



 「バスケを始めた当初に立てた目標が『世界に認められる選手になること』でした。その思いは今でも強いです。『周りから認められたい』という気持ちは人間誰しもあると思うんですけど、いわゆる他者からの評価をいつも気にしているというわけではなく、過去の自分と比べて、どれだけ今の自分が成長できているかを気にしながらずっとやってきました。自分自身が納得した上で認められたい、勝ちたいという気持ちで今、続けています」



 ――どんな学生時代を送りましたか。



 「特別支援校ではなく普通の公立学校に通っていたのですが、学校はバリアフリーではなかったので、階段とかみんなが協力してくれたことは思い出の一つです。遊ぶ時も僕が参加できるようにルールを作ってくれました。今でも友人に感謝しています」



 ――障がいについて葛藤されたことはありますか。また、どう克服しましたか。



 「僕はこの状態で生まれてきましたので、特に悩み、葛藤をしたことはありません。障がいに限らず、誰にでも悩みがあったり喜びがあるかと思います。『克服するもの』『乗り越えるもの』とは捉えていません」



 ――どんなご家族の中で育ちましたか



 「姉とは分け隔てなく育てられたと思います。両親に甘やかされたという印象はないです。夢や目標に向かって背中を押してくれる家族でいてくれました。銀メダルもとても喜んでくれました」



 ――日本と現在プレーしているドイツで障がい者の受け入れ方や日常生活の過ごし方など異なる部分はありますか。



 「ドイツでは石畳など古い街並みも多く、決してバリアフリーというわけではありません。しかし車いすユーザーなどが町にいることは比較的普通のことで、自然に必要なサポートをしてもらうことが可能でした」



 ――茅ヶ崎でスポーツや勉強に励む子どもたちへメッセージをお願いします。



 「僕は勉強が好きではなかったけれど、大好きな車いすバスケのために勉強を頑張ってアメリカの大学を卒業しました。勇気を出して一歩踏み出せば世界は変わります!頑張ってください!」

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