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茅ヶ崎・寒川 社会

公開日:2023.06.02

浜降祭4年ぶり開催へ
「熱狂の日」待ち望んで

  • 神輿奉納時の様子=白井さん提供

  • 白井精治さん

 4年ぶりの開催が決まった浜降祭。熊野神社(小和田)で総代などを務めてきた白井精治さん(81)も再開を待ち望んでいた1人だ。44年前、同神社の神輿が地域の若者たちの声を受けて完成した際、その中心的役割を担った。再び訪れる「熱狂の日」を前に「神輿に込めた思いを多くの人に知ってほしい」と願う。

44年前、熊野神社で神輿建設を主導白井精治さん

 熊野神社は小和田や代官町、本宿町、小桜町など市東部の鎮守として知られる。白井さんの家は代々、代官町で農業などを営み、幼い頃から祭りなどに通ったという。

 実は同神社には長く神輿がなく、1970年代になると地域の若者たちから「神輿を作って自分たちも浜降祭に参加したい」という声が上がり始める。その中心となったのが白井さんだった。

 神社の世話人たちから賛同を得ると、76年に「熊野神社奉納神輿建設委員会青年部」を立ち上げ、部長に就任した。

 当時、周囲から忠告を受けたのは「浜降祭に参加したい、という理由だけでは地域の人たちから理解が得られない」ということだった。

 そこで仲間たちと作成した「趣意書」には「神輿を媒体とし、地域の連帯意識を向上させたい」と記した。そこからの日々は「あっという間に過ぎていった」と白井さん。寄付の呼びかけから神輿を作ってくれる業者の選定、返礼品の準備などに東奔西走した。当時、国鉄職員として働いていたが「上司が理解のある人で『地域のことはとことんやるべきだ』とさまざまなサポートをしてくれた」と笑う。

 こうして3年後の79年6月22日、完成した神輿が神社に奉納された。「みんな感激の涙で顔がぐしゃぐしゃ。でもこれまでの苦労が吹っ飛んだよ」と当時を振り返る白井さん。7月15日には念願の浜降祭への「デビュー」を果たした。

 白井さんはその後、神輿愛好会の「小和田松和会」の初代会長や、同神社の筆頭総代を務めるなど、神社と地域のために尽力してきた。

 コロナ禍による中止を経て、久しぶりの浜降祭を前に「地域の人たちが待望して熊野神社の神輿が出来上がったこと、そこに込めた思いを、ぜひ多くの人に知ってもらいたい」と話した。

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