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茅ヶ崎と歩んできた135年 亀井工業ホールディングス株式会社
茅ヶ崎の歩みとともに、まちづくりを通じて企業基盤の礎を築いてきた同社。相模川の渡し場に近いことから宿場として栄えていた茶屋町で、代々「布袋屋」の屋号で旅館と湯屋(銭湯)を営んでいた。創業は茅ケ崎駅が開業した98年(明治31)以前の1890(明治23)年、今年で135年となる。初代亀井要助が砂利販売の「亀井組」を設立したことに端を発する。
同社は砂利販売から、国道1号線の架橋⼯事を機に土木建築業にも社業を広げ、「南湖院愛光院」建設によって地元業者としての基盤が固まったとされる。茅ケ崎駅北口で操業していた大製糸工場の純水館にも労務供給という形でかかわるなど、国土の近代化の流れに乗って建設業者として発展を遂げると、行政から道路改修や川の水害復旧治水などの公共工事を請け負うように。次第に茅ヶ崎を拠点とする県内の建設業者として認められていったという。
戦争の困難期を経て1947(昭和22)年、亀井組を法人化し、社名を「亀井土建」へと変えると、「道路造りは国造り」という機運の高まりとともに公共事業が急増した流れを受け、道路舗装工事にも進出。北茅ヶ崎(現湯快爽快)などにアスファルト製造プラントを建設し、湘南地域の道路舗装工事に携わるようになり、69(昭和44)年、アスファルト合材製造を行う「相模開發」を、72(昭和47)年には東和測量設計事務所(後に東和工業)を相次いで設立した。
こうして地場のゼネコンとして道路、橋梁、ダム、隧道、上下水道など公共事業を中心に多くの受注を重ねていった同社。茅ヶ崎市立松浪小学校、茅ケ崎ゴルフ倶楽部のクラブハウス建設に従事したほか、73(昭和48)年の江ノ島片瀬地下道の工事で土木技術の底上げに成功し、建築部門の受注比率が社業の3割を超えたことから84(昭和59)年には社名を「亀井工業」に変更。総合建設業としての新たな一歩を進めていった。
地域に必要なことを仕事とする「総合生活企業」へ
平成に入り、バブル崩壊やリーマンショック、超高齢化社会など国の経済や体制を揺るがす事態が相次ぐ中、時代ごとに求められる「必要」をカタチにして提供していくため、建設事業に加え温泉事業(湯快爽快)やスポーツ健康事業、福祉(介護付有料老人ホームケアヴィレッジ湘南茅ヶ崎)、飲食などの新たな取り組みにも着手。現在は相模開發、グローバルキッチン、東和工業、山下組をグループ企業とした「総合生活企業」を目指し、創業以来の姿勢「まち・人・未来を健やかに」のビジョン、そしてローカルファーストの価値観を軸に各社、各事業部が持ち合わせる技術を発揮させながら創業以来の企業姿勢である地域社会に貢献していきたいとする。
「地域に必要なことを仕事として、その歩みの先に真に心豊かなライフスタイルを創り出す、それを実現する企業であり続けたい」と亀井信幸社長。茅ヶ崎とともに200年企業へ。「亀井工業」の夢は続いていく。
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クラフトビール
茅ヶ崎市中海岸4-12986-153
TEL:0467-67-6930
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