作家・中勘助に迫る 市民団体が詩集刊行と講演会
『しづかな流』に人物像凝縮
自伝的小説『銀の匙(さじ)』を書いた孤高の作家・詩人、中勘助(1885―1965)。平塚に居を構えて今年で90年になるのを記念し、市民グループ「平塚ゆかりの作家 中勘助を知る会」が、地元の自然や風物などを詠んだ勘助の詩歌42点を選び、『詩集 中さんの散歩道』を刊行した。20日には中央図書館ホールで記念講演会を開いた。
勘助は現在の浜岳中学校の東隣に家を建て、大正13年12月から7年ほど暮らした。平塚での生活を約500ページに及ぶ日記体随筆『しづかな流』に記し、平塚海岸や松林、鳥、植物などの詩191編・短歌98首を詠んだ。「当時の平塚海岸付近の情景を余すことなく詩情豊かに伝えている」(知る会の宮川利男会長代行)。
同会はそこから心にしみる作品や軽妙洒脱なものなど詩22編・短歌20首を選び、写真と解説を添えてA4判30ページにまとめた。詩集は500部作製、市立図書館と公民館、講演会参加者などへ配布。刊行に際し遺族と関係者の協力を得て、市民活動ファンドの助成金を活用した。
約70人が参加した講演会では、戦時中に勘助が移り住んだ静岡市にある中勘助文学記念館の元館長前田昇さんが講演を行った。実際に勘助と接した前田さんは、食糧と交換できる配給品の糸の受け取りを辞退した妻に対し、勘助が「いいことをしたね」と言ったエピソードを紹介。「中さんは実践を伴わない倫理観や道徳を嫌った。人に優しく、困っている人を助けることが自然にできる人物だった」と語った。
また、市教育委員会教育研究所長の篠生(さそう)恵美子さんが、几帳面な性格や日課としていた朝夕の散歩、兄との確執、周囲の女性たちなど平塚時代の勘助を中心に講演。「『しづかな流』には沢山の野鳥や花が出てくる一方、塩鮭の詩のように決して平穏ではなかった生活も書かれている」と述べた。
同会は昨年9月に発足。市内外から会員30人が集い、文学をテーマに講座や散策会などを開いている。宮川さんは「中勘助の地元での生活や人となり、業績について多くの人に知ってもらい、平塚の文化振興とまちづくりに役立てていけたら」と話す。
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