平塚空襲の歴史を風化させまいと、「平塚の空襲と戦災を記録する会」(江藤巌(いわお)会長)は18日、空襲経験者6人を招いたリレートークを市博物館で開催した。1989年に発足した同会は、27年間で250人から空襲証言を収集。証言をまとめた本を刊行するなど、戦争の悲惨さを次世代へ伝える活動に取り組んでいる。
語り部の市川和枝さん(80)、澤野明さん(85)、平岡美恵子さん(83)、田中宏さん(77)、渡辺光江さん(89)、岩橋喜四郎さん(85)は、これまで同会が聞き取りを行ってきた250人の空襲経験者から選ばれた。多くの来場者がつめかけた会場で、約2時間にわたり当時の体験を回顧した。
あの世で会えたと錯覚
平岡美恵子さんは、13歳で空襲被害を経験した。「ザーッ」という轟音と低空飛行で頭上を舞う飛行機の音におののきながら、弟妹たちと花水川を目指して逃げまどった。足元のおぼつかない弟が転倒すれば必死に掴み起こし、飛行機から逃れるように畑に身を伏せて隠れたという。
平岡さんは「飛行機から見えた顔が、ニタッと笑いながら銃口を向けているような感じがした。般若のお面のようだった」と、当時の恐怖を語る。花水川の土手にたどり着くと、安堵のあまり呆然と立ち尽くした。『そのまま立っていたら死んじまうぞ』。声と共に川に突き落とされ、爆風から身を守ることができたという。
空は真っ赤に染まり、すさまじい音が響き渡る。「父と母がいない。家は焼かれたのだろうか」という不安が押し寄せた。夜が明けて家に戻ると、両親の姿が目に飛び込んできた。「あの世で再開したのかと錯覚した」と、泣きながら抱き合ったという。幸い平岡さんの自宅は焼失を免れ、家族も全員無事だった。「周りが辛い状況の中で、この話をするのが嫌だった。サイレンの音は今でも嫌い」と心境を吐露した平岡さん。「戦争は必ず人を不幸にするのだ」と、絞り出すような声で来場者に語りかけた。
焼夷弾 スコップで破壊
「両親に叩き起こされたが、全く気付かなかった。目を覚ますと1人だった」と会場の笑いを誘ったのは、15歳で空襲に遭遇した岩橋喜四郎さん。機関銃のような音で目を覚まし、先に自宅近くの防空壕へ避難していた両親の元へ駆け寄ると、玄関から「シャー」と焼夷弾の音が聞こえた。次々と焼夷弾が降りかかる中で砂をかけて爆発を防ごうとしたが、手に負えない状態になった。ついには、自宅を守りたい一心で手に取ったスコップで壊しにかかったという。岩橋さんは無我夢中でとった行動について「怖くなかった」と語る。 当時通っていた第二国民学校も空襲の被害を受け、ケヤキ造りの大講堂が火を噴いているのを目の当たりにした。「学び舎が跡形もなくなり、悲しかった」と声を落として振り返った。
語り継ぐために
厚木市から観覧に訪れた亀井喜美子さん(74)は「話を聞く機会はほとんどないため、とても貴重な体験だった。風化させないためにも、頑張ってほしい」と話し、江藤会長は「より多くの人から体験証言を集め、次世代に語り継いでいきたい」と抱負を語った。
|
<PR>
平塚版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>