1945年7月16日に見舞われた平塚空襲から74年が経過する。
この日の夜、平塚上空に米国のB29爆撃機132機が現れ、44万7716本の焼夷弾を投下した。一晩に受けた弾数としては全国で3番目に多い数だった。焼け野原と化した市内で328人の尊い命が失われ、268人が重軽傷、7678戸が罹災したとされる。
戦時下の平塚市は、人口5万人の小都市でありながら、海軍技術研究所や海軍火薬廠、日本航空工業などが集積する軍需産業都市で、米軍の標的にされたと見られる。
平塚市は7月8日(月)〜19日(金)、空襲による悲惨な被災状況を今に伝える「平和普及展」を市役所本館1階の多目的スペースで開催する。平日のみ。
B29爆撃機の模型や焼夷弾をはじめ、出征者の弾丸除けのお守りとして縫われた千人針を展示。焦土と化した当時の写真や被災状況を示す地図などの資料も用意し、市民に平和の尊さを伝える。
市は7月8日(月)〜8月18日(日)を平和月間と位置づけ、原爆展や市民広島派遣、平和の夕べなどの事業を今年も展開する。
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