平塚・大磯・二宮・中井 文化
公開日:2022.12.15
三嶋神社に2つの池
今も昔も「にぎわいの中心」
須賀の鎮守として信仰され、年末年始には多くの人々が訪れるという「三嶋神社」。須賀公民館や三島公園など、子どもたちや地域住民の集いの場となっているこの場所は、1955年頃まで釣り遊びができるような池だったという。須賀史談会(清田宰宏会長)メンバーは思い出話に花を咲かせ、「今も昔も、三嶋神社がにぎわいの中心なのは変わらない」と、顔をほころばせる。
池は、湧水が流れ込んでできたもので、現在の一の鳥居から二の鳥居に至る参道を挟んだ両側に、それぞれ500平方メートルほどあったという。
本殿を正面に、右側には現存する弁天社が出島のように浮かぶ大きい池、左側(現・須賀公民館付近)には小さい池があり、フナなどの魚のすみかとなっていた。
魚釣りの思い出も
『神奈川県平塚市での関東大震災の跡 慰霊碑巡礼の記録』によると、1923年の関東大震災後に池に水が流れ込みにくくなり、水質は悪化していった。
平塚空襲後の復興事業の一環で53年に第1回の地区レクが行われると、地域コミュニティの再建を重要と考えた須賀青年会、みなと婦人会などの地域団体から「公会堂の設置」を求める動きが始まった。54年5月に「須賀公民館設置促進委員会」が立ち上がり、市の土地区画整理事業を契機に池は埋め立てられ、58年には跡地に公民館が建設された。
「なるべく遠くに釣り糸を投げたくて、弁天様がまつられている出島の先まで登ったよ」「自転車で通るたびに池のことは見かけていた」。須賀公民館の竣工から64年が過ぎ、三嶋神社の池の思い出を持つ人も少なくなってきた。清田さんは「池の土地があったからこそ、地域活動の拠点でもある須賀公民館を建てることができた」と話し、公園で遊ぶ子どもたちの光景に目を細めていた。
ピックアップ
意見広告・議会報告
平塚・大磯・二宮・中井 ローカルニュースの新着記事
コラム
求人特集
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!












