「サイクルチャレンジ小田原」を主催する日本競輪選手会神奈川支部小田原地区で地区長を務める 川崎 智広さん 市内蓮正寺在住 40歳
四十路も全力疾走
○…練習メニューの立案から遠征の手配、栄養管理に至るまで、すべて自己責任。不正防止のため、レース期間中は外部との連絡も遮断されるなど孤独な戦いが強いられる競輪選手にとって、心の支えは練習拠点をともにする同郷の選手の存在だ。「一緒に走れば練習に活気がでるし、切磋琢磨しあうことで力もつく」。だが、小田原競輪場の所属選手は9人で、川崎や平塚の10分の1ほど。「ギャンブルの印象が強いが、五輪も目指せるプロアスリート。そんな一面を知ってほしい」と、未来の仲間を発掘するイベントを初開催する。
○…「自分の足でお金を稼ぐことが魅力」。相洋高校卒業後に志したのは、当時プロとして活動していた兄と同じ競輪の道。2浪の末、競争率約15倍の狭き門を突破して修善寺の日本競輪学校へ入学した。待っていたのは自転車漬けの毎日。「全寮制で、外出が許されるのは日曜の午前9時から午後5時だけ。その時間も洗濯に追われた」。だが、同じ夢を追う仲間との生活に辛さはなかった。小柄な体格を補うべく筋力トレーニングに励み、ついに果たしたプロデビュー。「1位で大歓声を受けるのは快感。負ければ容赦ない野次が飛んでくるけれど、それも自分を信じて賭けてくれるからこそ」
○…「体を休めるのも仕事。買い物に行く時も、自転車ではなく車」とはにかむ。一男一女の父で、「趣味は子どもと遊ぶこと」と子煩悩な一面をのぞかせるが、業界の暗黙のルールから家族は競輪場に入れず、我が子に走る姿を見せられないのが寂しいところ。
○…最高時速70Kmに達する競輪は、生命の危機と隣り合わせ。3年前、レース中に転倒した際は腰の骨折と肩脱臼の重傷を負った。約4カ月間の離脱も、「骨折はつきもの。意識があれば大丈夫」と明るい。年間約60人が解雇される厳しい世界だが、「自分が納得してやめられるまで」と、ペダルを踏み続ける。
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